こんにちは!
上野の東京都美術館で開催中の「マティス展」に行ってきました。
目次
マティス展
約20年ぶりのマティス展です!!
パリのポンピドゥー・センターから約150点が来日しています。
ポンピドゥー・センターにあるマティスの作品は約250点なので、半分以上も日本に来ています。すごい…。当分こんな展覧会はないはずなので絶対に見に行くべき。
チケットの価格と入手方法
事前予約制です。
一般 2,200円、大学生 1,300円、高校生以下無料です。
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ロッカー
入り口入って左側にたくさんあります。
音声ガイド
音声ガイドは俳優・上白石萌歌さんです。
料金はレンタル版は650円、アプリ版は800円です。
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写真撮影
写真撮影は第4、5、6章のみOKでした。
撮影OKだった作品の紹介は下に載せています。
混雑
平日の朝イチ、9時30分の回で入りました。
約5分前に門が開き、中に入ることができました。
かなり混むかな?と思いきや、そこまででもなく、最初から空いていました。
一通りどんな作品があるのか見ながら一周して20分後くらいに最初に戻ると、結構混んでました。
とはいえ、マティスの絵は細密画ではないし、サイズも小さくないので、人の流れも早く、混んでいるように見えても少し待てば絵の前まで行くことができます。混雑に波がある感じでした。
個人的には思ったよりも空いていたなという印象。
マティス展 構成
マティスってどんな人?という方はこちら↓
1章 フォーヴィスムに向かって 1895–1909
マティスはもともと法律家になるつもりでしたが、途中で考えを変えて画家になることを選びました。
彼はパリの美術学校で学び、そこで新しい絵画の手法を探求し始めます。
彼は伝統的な絵画の方法から離れ、色使いが大胆で、筆のタッチが強烈な「野獣派」というスタイルで有名になります。
そして、その後は平面的で装飾的な絵画の構成にシフトしていきました。
2章 ラディカルな探求の時代 1914–1918
第一次世界大戦中に、マティスは自分の息子2人を含む周囲の人々が徴兵されるなか、一人で革新的な芸術の実験を進めました。
彼はアトリエと窓を題材に、内部と外部の風景を統合し、新しい絵画の空間を作り出そうとしました。
さらに、キュビズムの影響を受けて、肖像画を抽象化するという新たなアプローチを試みました。
3章 並行する探求─彫刻と絵画 1913–1930
マティスにとって彫刻は、彼の全体的な芸術活動にリズムと構造を与える重要な要素でした。
彫刻は絵画のアイデアが模索される過程で生まれることが多かったようです。
4章 人物画と室内画 1918–1929
1920年代にマティスがフランスのニースに移住した際、彼は小さいキャンバスを使って肖像画やインテリア画、風景画を描くようになり、伝統的な絵画の概念に再び取り組みました。
1920年代にマティスがフランスのニースに移住した際、彼は小さいキャンバスを使って肖像画やインテリア画、風景画を描くようになり、伝統的な絵画の概念に再び取り組みました。
この頃、特に「オダリスク」(イスラムのスルタンに仕える女性)というモチーフが重要でした。
これは彼の絵画における人物と空間の配置を探求する上で欠かせない要素でした。
また、この時期に描かれた多くのスケッチも、マティスの生き生きとした視点を感じることができます。
5章 広がりと実験 1930–1937
1930年代、マティスはアメリカやオセアニアを旅し、新しい光や空間を体験しました。その結果、彼は再び豊かな芸術的な探求を始めました。
この時期の代表作として、「座るバラ色の裸婦」や「夢」など、彼の晩年までの特別なモデル、リディア・デレクトルスカヤを描いた作品があります。
彼は人物の形を絵画の構成にどのように取り入れるかについて、多くのバリエーションを通じて探求しました。
6章 ニースからヴァンスへ 1938–1948
第二次世界大戦が始まり、高齢と病気のためにフランスを離れることができなかったマティスは、ニースからヴァンスへと移りました。
しかし、彼は療養中でも絵を描くことを止めず、ドローイングや本の挿絵などを制作しました。
マティス展の出口付近に置いてあった朝日新聞の記念号外「マティス展」の中に、「30代末に『疲れを癒やす良いひじ掛け椅子』のような芸術を望んだマティス」という文があって、この言葉すごくいいなと思いました。
まさにマティスの作品を表すような言葉。
この時期、彼は色彩豊かなアトリエを描いた大きなキャンバス作品や、彼が装丁を手掛けた美術文芸誌『ヴェルヴ』など、多彩な作品を残しました。
7章 切り紙絵と最晩年の作品 1930–1954
1930年代からマティスが習作のために使っていた切り紙絵が、1940年代になって彼の作品の主要なものとなりました。
これは色彩と描画の間の矛盾を解決する新しい手法で、「ハサミで描く」と表現されました。
会場内には上の『ジャズ』シリーズ全20点が展示されていました。最高!
この章では、鮮やかな切り紙絵で作られた『ジャズ』という本や、巨大な切り紙絵、さらにアトリエの壁に飾られた「オセアニア」という大作など、マティスの晩年の作品が展示されています。
8章 ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948–1951
最晩年にあたる1948年から1951年の間、マティスはヴァンスのロザリオ礼拝堂のプロジェクトに取り組みました。
彼は建築、装飾、家具、オブジェ、そして典礼用の衣装までもデザインしました。
彼はこれまでに習得した描画、彫刻、切り紙絵などの技術を用いて、光、色、線が一体となる美しい空間を作り出しました。これは彼の最も素晴らしい作品と考えられています。
会場では、展覧会のために撮ったロザリオ礼拝堂の4K映像が流れています。
ミュージアムショップ
今回の展覧会はミュージアムグッズが大充実していました。マティスは(彼の遺族がやっている財団のチェックが厳しい)グッズを作るのが本当に難しいそうなので、この種類の豊富さはかなりレアなのでは。
図録、ポストカード、マスキングテープ、ポスター、トートバッグ、マグカップ、クッションなどがありました。
今回図録は表紙の絵柄が3種類。この手法、迷うから本当にやめてほしい。笑
私はこの絵柄にしました。
会場内で特に人気があったのはレモンケーキとポストカードのセットかも。補充すると無くなるのを繰り返していました。
『ジャズ』シリーズ全20点ミニプリントかポストカードで作ってほしかったな〜〜!マグネットとガチャガチャのピンバッジは全20種類あるのになぜ紙ものはないの。
上がミニプリント、286×376サイズです。専用のマット紙も一緒に購入しました。
マグネットもピンも可愛いのだけど、素材がTPUっぽいからすぐ変色しそうだなということで購入見送り…。
ジャズ柄のマスキングテープ。本当にかわいいのだけど、これも絵柄全種類入れて欲しかったな。切り取り線が入っているタイプ。
《オセアニア、空》と《オセアニア、海》の2作品がそのままプリントされている一筆箋。かわいすぎでは?
どちらか片方だけのプリントなら買わなかったけど、2作品とも入ってるなんて最高。一筆箋なんて使わないから使い道は特にないけど買ってしまった。
今回ポスターの種類も豊富でした。何種類あったんだろ、7種類以上はありました。
家に帰ってとりあえず1枚額装してみました。部屋に窓が出来た感じがしてとてもよい。
レジ袋はロザリオ礼拝堂デザイン。こんなの可愛すぎるでしょ。みんなこの袋に思い思いのグッズを入れて歩いてるの可愛かった。
レジ並ぶかな〜と思いきや、レジが12台もあるので待たずに購入できました!ありがたい。
展覧会会場内のショップだけではなく、東京都美術館のミュージアムショップにもマティス グッズがたくさんあったのでついつい買ってしまいました。散財。
カフェ&レストラン
1階に「カフェ・アート」(50席)、「レストラン・サロン」(50席)、2階に「レストラン・ミューズ」(200席)があります。
今回は、「カフェ・アート」でハヤシライスと「マティス展」コラボメニューのマンゴーシブーストを食べました。
アンリ・マティス《赤の大きな室内》1948年
マティスの《赤の大きな室内》をイメージしたデザートだそう。味はう〜ん普通…。
マティス展 概要
会期:2023年4月27日〜8月20日
会場:東京都美術館 企画展示室
住所:東京都台東区上野公園8-36
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開室時間:9:30〜17:30 (金は〜20:00) ※入室は閉室の30分前まで
休室日:月、7月18日 ※ただし、5月1日、7月17日、8月14日は開室