こんにちは!
今回は、ディズニーシーにあるレストラン「カナレット」の名前の由来になっている、画家のカナレットについてです!
当時、お金持ち観光客のお土産としてカナレットの絵が大人気でした。
早速見ていきましょう!
目次
カナレット(1697-1768年)
アントニオ・ヴィセンティーニ《カナレットの肖像》1754年
カナレットは、ヴェネツィアの景観画家です。
本名はジョヴァンニ・アントーニオ・カナールです。
父親の名前もカナールで、同じく画家だったことから、2人を区別するため「小さなカナル(カナレット )」と呼ばれるようになります。
ちなみに名前のカナールはイタリア語で運河を意味しています。
写真のように写実的で、大気や光を感じさせる開放的な雰囲気のある絵を描きました。
ディズニーシーのレストラン カナレット
東京ディズニーシー内にあるレストラン「リストランテ・ディ・カナレット」のカナレットは、この画家の名前から取っています。
レストランがある場所一帯がヴェネツィアをイメージしたエリアなので、カナレットのヴェネツィアを描いた絵と、世界観がマッチして最高。
店内には6枚の絵+カナレットの自画像が飾られています。
自画像は、上で貼った絵を元に作ったオリジナルですね。
ディズニーシーの街並みと是非くらべながら見てみてください!
《ジュデッカ運河から見たサンマルコ湾》1735-1744年
《サン・マルコのドック(東を望むサン・マルコ湾)》1738年頃
《ヴェネツィア:サンマルコ広場》1758年頃
《カンポ サンタ ソフィアからリアルト橋に向かう大運河》1758年
《カンナレージョ、ベニス、パラッツォテスタ、パラッツォスリアンベロット、3つのアーチの橋》
《リアルト橋》
あ〜ディズニーシー
ディズニーシー行きたいなぁ…。
ジェラトーニ
ディズニーシーのパレッツォ・カナル(ヴェネツィアっぽいエリア)から誕生したキャラクターこそ、あの猫の「ジェラトーニ」です。
設定は画家です。画伯です。
カナレットに似ているわけではありませんが、面白いなぁって思いました。
カナレットってどんな人?
《石工の仕事場》1725年
カナレットは、画家の父親から絵の基礎を学びます。
父親と一緒にオペラの舞台の背景の絵を描く仕事をしていましたが、ヴェネツィアの景観を描いた絵がヒットし、仕事がたくさん舞い込んでくるわ、高値で売れるわで、超有名人に。
母国ではなくイギリスで人気
《サンマルコ広場》1730年頃
母国ヴェネツィアではそれほど…でしたが、イギリスではとても人気があり、英国商人で画商でもあったジョゼフ・スミスがパトロンでした。
スミスは、カナレットの作品をイギリスで売りまくります。
さらにスミスも、カナレットの絵を収集するほど気に入っていました。
どれだけの絵を収集していたかというと、
絵画50点、素描140点以上です!大好きすぎでは…
お金持ちな観光客のお土産
《大運河への入り口、ベネツィア》1730年
なぜイギリスで人気があったのかというと…
17〜18世紀、イギリスの裕福な貴族の子供が、卒業旅行として海外へ行くことを「グランドツアー」と呼んでいました。
自国にはない建築物、美術品を見て、みんなに自慢できる記念品を買って帰ります。
そこで、カナレットの絵をお土産に買って帰るのが大流行しました。
あまりにも売れるので、カナレット風に描いた偽物も出回り、それすら売れていたそう。
カメラの元祖 カメラ・オブスクラ
カナレットの絵があまりにも写実的なので、カメラ・オブスクラというカメラの元祖となる装置を使って、下絵を描いていたのでは説もありますが、最近は否定論もあったり。
使っていなかったとしたら、本当に神ワザ…
飽きられる
《最初のウェストミンスター橋》1746年
1740年代になると、オーストラリア継承戦争によって、旅行者が急激に減少し、絵の注文が減ってしまします…
商業的に成功したカナレットは、「売れる絵」ばかり描いたので、段々とどの絵もありきたりな感じになってしまい、人気が落ちてしまいます…。
ロンドンとヴェネツィアを行ったり来たりしますが、思うように売れませんでした。
晩年も元気
《アカデミーのポーチコ》1765年
カナレットは、晩年も健康で、歳をとっても視力が良く、70歳で亡くなるまで、細密な絵を描き続きました。
まとめ
・カナレットはヴェネツィアの風景を描いた画家 ・その場の空気感を絵の中に閉じ込める天才 ・ディズニーシーの「カナレット」には、カナレットの絵が飾られている