こんにちは!
今回は、ベックリン《魚に説教する聖アントニウス》を解説します。
早速見ていきましょう!
魚に説教する聖アントニウス
なんともまぬけな顔のサメが聖アントニウスに説教されています。
「説教」と聞くと「叱責」と思われがちですが、元来「説教」とは、宗教上の教義を民衆にわかりやすく話して聞かせることを指します。
魚に説教?
この絵は、キリスト教の『聖アントニウスの魚への説教』というエピソード、つまり「聖アントニウスの説教が魅力的で、魚ですら心打たれた」という話を絵にしたものです。
また、説教の内容が人々にとっても有益であることを象徴していると考えられます。
上の絵は、魚への説教シーンですが、下の絵はサメが本能剥き出しにして他の魚を襲っています。これは何を表しているのでしょうか?
歌まである
グスタフ・マーラーが作曲した楽曲集『子供の不思議な角笛』の中の『魚に説教するパドヴァのアントニウス』がこの話を題材にしています。「パドヴァのアントニウス」とは、聖アントニウスのことです。
ドイツの詩人ルートヴィヒ・ティークが集めた民話が元になっており、グリム童話よりも少し前の時代のものです。
歌の内容は…
聖アントニウスが教会で説教をする予定であったものの、教会に誰もいなかったため、川に出かけて魚たちに説教を始めました。
鯉、タラの干物(干物?!?!)、ウナギ、チョウザメ、カニ、カメなど、さまざまな魚たちが彼の説教を聞くために川底から這い上がり、大きな魚も小さな魚も頭を上げてうなずいています。
彼らは神様の御意志を受け入れ、アントニウスの説教に耳を傾けています。
しかし、説教が終わった後、魚たちはすぐに元の生活に戻り、説教の内容をすぐに忘れてしまいます。
この物語は、聖アントニウスの説教が魚たちに一時的な感動を与えるものの、彼らの行動や習慣には実際には変化がないことを示しています。
現実の世界においても、人々が教えを受け入れて感動することがあっても、その後すぐに元の生活に戻ってしまう様子を風刺しているとも解釈できます。
ベックリンの絵の下の部分、暗い水底のシーンは、その説教後のサメが描かれています。
そもそも聖アントニウスってだれ?
聖アントニウスは「隠修士」です。
隠修士というのは、キリスト教の修道僧で、山や荒野に隠れて修行を行う者を指します。
彼は修道院制度の創設者とされており、3世紀にエジプトで生まれました。神への愛に目覚めた彼は、家族や財産を捨て、厳しい苦行生活を送りました。
ヒエロニムス・ボス《聖アントニウスの誘惑》1500年
しかし、悪魔は彼の修行を妨害しようとしました。美食、名誉、金銭など、現世の楽しみを誘惑として見せかけて、彼の修行を中断させようと試みました。
聖人伝説には、こうした誘惑に対抗する話がよく登場します。
パオロ・ヴェロネーゼ《聖アントニウスの誘惑》1552年
アントニウスが屈しないと悟った悪魔は、さらに強力な誘惑を仕掛けました。今度は美しい全裸の女性に化けて、アントニウスを誘惑しようとします。
しかし、彼はこの誘惑にも負けず、修行を完遂することができました。
アントニウスは信仰心が非常に強く、悪魔のさまざまな試練にも耐え抜いたことから、後世に聖人として称えられるようになりました。