こんにちは!
音楽室の肖像画パート3です。
どうして音楽室に肖像画があるの?などの謎についてはパート1で解説しています。
パート1
パート2
音楽家たちの紹介
リムスキー=コルサコフ
リムスキー=コルサコフの写真
リムスキー=コルサコフは、ロシアの作曲家です。
作曲をしながら音楽院で教授として生徒たちを指導し、生徒や他の先生からも大変好かれていました。
研究熱心な人物だったそう。上の写真も学者みたいですしね…。
フォーレ
ジョン・シンガー・サージェント《ガブリエル・フォーレの肖像》1889年
フォーレは、フランスの作曲家です。
パリ音楽院の院長を務め、優れた音楽教育者としても知られています。
教会のオルガン奏者としても活躍していたことから、敬遠なカトリック教徒かと思いきや、女性関係にはだらしないなんていう一面も。
プッチーニ
プッチーニの写真
プッチーニは、イタリアの作曲家です。
奥さんが嫉妬深くて嫉妬深くてかなり苦労したそう…。
オペラ《ラ・ボエーム》《トスカ》《蝶々夫人》《トゥーランドット》など超有名な作品を生み出した人物です。
↓この曲もとってもとっても有名ですね!
ドビュッシー
ドビュッシーの写真 1908年頃
ドビュッシーは、フランスの作曲家です。
気難しい性格で、内向的で非社交的、女性関係にだらしなく、トラブルだらけでした。
彼の曲は、音楽の「印象派」と呼ばれていました(本人は嫌がっていた)。
印象派というのは、モネやルノワールなどが描いた当時としては先進的だった絵画グループのことです。
ドビュッシー 自体は画家のターナーの絵がお気に入りで、創作のインスピレーションを得ていたそう。
↓の曲も本当に有名ですね!
シュトラウス
マックス・リーバーマン《リヒャルト・シュトラウスの肖像画》1918年
シュトラウスは、ドイツの作曲家、指揮者です。
シュトラウスの妻はかなり激しい性格で、彼のことを人前で罵倒することもありましたが、しっかり者で、主婦として彼によく尽くしていたといわれています。
シュトラウスも自分にはこういう妻が必要だと語っていたとか。
↓この曲の出だしも本当に有名ですね!
ラヴェル
ラヴェルの写真 1925年
ラヴェルは、フランスの作曲家です。
個人的にラヴェルの音楽が大大大好きなので長々と書きたくなってしまいますが、ここでは手短に。
彼は晩年、重度の失語症に陥った状態で自分の曲を聴き、「美しい曲だね。これは誰の曲だい?」と尋ねたというエピソードが有名です。
その曲についての解説はこちら↓
そして今回紹介するのは「ボレロ」↓この曲も本当に有名ですね!
ストラビンスキー
ジャック=エミール・ブランシュ《ストラヴィンスキーの肖像》1915年
ストラヴィンスキーは、ロシアの作曲家です。
女性関係にルーズで、一時はココ・シャネルと恋愛関係にあったことでも有名です。
滝 廉太郎
滝 廉太郎の写真
滝廉太郎は、日本の音楽家、ピアニスト、作曲家です。
わずか23年という短い人生だったため作品の数はとても少ないのですが、日本で初めて本格的な西洋音楽のスタイルを取り入れ、今日まで歌いつがれる名曲を残しました。
↓この曲も音楽の授業で聞いたことがあるはず。
山田 耕筰
毎日新聞社「毎日グラフ(1952年4月1日号)」の山田耕筰の写真
山田耕筰は、日本の作曲家、指揮者です。
日本で初めて交響楽団を組織し、交響楽・オペラの興隆に尽力した人物です。
また、日本語の特徴を生かした多くの歌曲を作曲しました。
↓赤とんぼも有名ですね。
中山 晋平
中山晋平の写真
中山晋平は、日本の作曲家です。
多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残しています。
校歌や社歌等を含め彼の作品と判明しているものだけで1770曲存在しています。
しゃぼん玉↓も小さい頃に歌った人も多いのでは。
弘田 龍太郎
弘田龍太郎の写真
弘田龍太郎は、日本の作曲家です。
数々の童謡などを作曲した人物ですが、最近はあまり彼の歌を聞くことはないような気がします…。
わたしも学校などで歌った記憶が全くありませんでした…。
宮城 道雄
宮城道雄の写真
宮城道雄は、日本の作曲家、箏曲家です。
箏曲の伝統に根ざしつつ西洋音楽を取り入れ、多くの作品を残しました。
↓春の海は、日本のお正月の定番曲ですよね!