こんにちは!
今回は、フェルメール《ディアナとニンフたち》についてです。
早速見ていきましょう!
目次
ディアナとニンフたち
ヨハネス・フェルメール《ディアナとニンフたち》1653-1654年頃
月の女神ディアナとニンフ
ギリシア神話の月と狩猟の女神ディアナと、彼女の侍女である4人のニンフが描かれています。
月の女神ディアナ
三日月の冠を乗せていることから、彼女が月の女神ディアナだとわかります。
犬
フェルメールにしては珍しく動物を描いています。
狩猟の女神でもあるディアナは、近くに犬がよく一緒に描かれます。
他の絵画作品ではキリリとした猟犬として描かれる犬も、この絵では大人しそうです。
足を洗うニンフ
ディアナの左足をニンフが洗っています。
キリスト教の宗教画において、足を洗うという行為は貞操や純潔の象徴でした。
ディアナの簡素な衣服、足元の白いタオル、真鍮製の水盤なども、純潔を想起させるアイテムです。
また、キリストの足を涙でぬぐったマグダラのマリアや、キリストが最後の晩餐で弟子たちの足を洗ったというエピソードから、謙遜や身近な死の象徴でもあります。
当時の人々は、この作品の足を洗っている描写がキリストと関連があることに気づいたはずです。
さらに、彼女の服装は、当時のオランダで着用されていたものでした。
彼女が真の主役?
ディアナの左横に座り右手で自身の左足を触っているニンフは、古代ギリシア・ローマ彫刻の「スピナリオ」と呼ばれる、足の裏に刺さったとげを抜こうとする少年のポーズととても似ています。
《スピナリオ》
キリスト教では、とげはキリストが現世で受けた苦難と苦悩の象徴でした。
このニンフが目立つ赤色の服を着ていることから、彼女が真の主役では?ともいわれています。
誓いを破ったカリスト?
ディアナからやや離れた場所に、視線を落としてお腹を隠すかのように身体の前で手を組んだニンフがいます。
彼女は、ニンフのカリストだと主張する専門家もいます。
というのも、オウィディウスの『変身物語』で、カリストの妊娠がディアナ(処女神で大の男嫌い)にバレてキレられる直前に、足を洗ったディアナとお供のニンフたちが水浴のために服を脱ぐシーンがあるからです。
アザミは堕落の象徴です(良い意味を持つ場合もありますが)。
ディアナとニンフっぽくない絵
完全に鑑賞者に背を向けている左端のニンフを除いて、その他の人物の表情は犬も含めて横顔か、陰になって隠れています。
誰一人として視線は交わっておらず、それぞれがまったく別のことを考えているかのようです。
本作のおごそかで静謐な雰囲気は、女神ディアナやニンフを描いたその他の絵画作品とはかなり趣が異なっています。
女神ディアナの神話でよく知られているドラマティックなエピソードを描いているのではなく、女性とその侍女が身づくろいをしているような雰囲気の絵です。
このような、女性の静謐な個人的な瞬間を切り取ったように見える作風は、年を経るにつれてフェルメールの作品に色濃く表れるようになっていきます。
レンブラントの影響
レンブラントの弟子の作品だと思われていた
フェルメールとレンブラントの作風は似ているとよく言われています。
本作も、1876年に開催されたオークションでは、レンブラントの弟子ニコラース・マースの作品として出品されていました。
というのも、絵の雰囲気が似ているだけでなく、画面左下のアザミと犬の間の岩肌に記されているフェルメールの署名「Meer」が、「Maes(マース)」に見えるように偽造されていました。
後世の修復によってフェルメールのサイン「J. v. Meer」が辛うじて判別できるようになりました(私にはMらしき文字しかわかりませんが)。
このサインはフェルメールではなく、ユトレヒトの芸術家ヨハネス・ファン・デル・メート (Johannes van der Meet) だとして、本作を彼の作品と考える専門家もいました。
レンブラント作品の影響
レンブラント・ファン・レイン《ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴》1654年
フェルメールは他の画家の作品から、構想、技法、人物のポーズなどを、自身の作品に取り入れています。
本作のディアナの豊満な肉体表現はレンブラントが描いた人物像とよく似ており、ディアナの衣服のしわの表現にはレンブラントが多用したインパストと呼ばれる厚塗りの技法が使われています。
さらに、レンブラントと同じくフェルメールもこの作品で人物の表情に陰を多用しており、このことが作品に意味ありげで厳粛な印象を与えています。
作品の雰囲気がレンブラントの上の絵と非常によく似ています。
フェルメールはこの作品を直接目にしていた可能性が高いといわれています。
それぞれの作品に描かれたディアナとバテシバ、足を洗うニンフと侍女のポーズはよく似ています。
レンブラントの弟子だったカレル・ファブリティウスが、1650年から死去する1654年までデルフトに住んでいたことが、フェルメールとレンブラントの接点となった可能性があると考えられています。
フェルメール作だと判明したのは結構後
本作の作者は1901年になるまで特定されていませんでした。
美術史家でマウリッツハイス美術館の館長アブラハム・ブレディウスと副館長ウィレム・マルティンが、フェルメールのサイン入り『マリアとマルタの家のキリスト』と本作との色使いや技法の類似、さらに『取り持ち女』との顔料の共通性から、本作はフェルメールの真作であると結論付けました。
青空から夜空へ
修復前
1999年から2000年にかけて本作は修復、洗浄され、画面右上に描かれていた青空が、19世紀になってから描き加えられたものであることが判明しました。
フェルメールが描いたのは夜の情景でした。
このときの作業では、描き加えられた青空に対して、オリジナルの背景に描かれた植物に似せた枝葉を上描きして修復しました。
さらに、キャンバスが切断されていることも分かり、とくに画面右端が15cmほど裁断されていることも判明しています。
自分の結婚記念の絵だった?
フェルメールは1653年11月29日21歳のときデルフトの画家ギルドの一員となっており、本作も同時期、あるいは数年後に描かれました。
カタリーナと結婚したのもこの年で、彼女のためにカトリックに改宗したと考えられています。
本作に描かれている貞節や純潔の象徴が、フェルメールの結婚と関係があるのではないかともいわれており、フェルメールの新生活を記念して制作された作品ではないかという説もあります。