どうしてアメリカにフランス印象派絵画がたくさんあるの?母国を離れた名画たちとは?超解説!

こんにちは!

今回は、どうして印象派の絵画がアメリカにたくさんあるのかについてです。

早速見ていきましょう!

どうしてアメリカに印象派の絵がたくさんあるの?

アメリカン・ドリーム

1870年代末のアメリカは、イギリスから独立を勝ち取って一世紀、南北戦争の後始末も終え、農業社会から工業社会への転に成功して、世界最大の工業国にのし上がっていました。

とりわけ鉄道、石油、鉄鋼、砂場、ゴムの分野で大資本家が続出しました。

新産業の拡大に伴い、無一物の人間にも一攫千金のチャンスがころがっていて(カーネギーやロックフェラーは一代で巨富を築いた)、新たな移民の流入もさかんになりました。

そんなアメリカン・ドリームは、ヨーロッパの資しい人々にまで希望を与えました。 

「思いがけず膨大な遺産を残してくれる、異国に住む金持ちの親戚」という意味の「oncle d’Amérique(アメリカの伯父さん)」というフランス語すらあるほどです。(これはモーパッサンの名作『ジュール伯父さん』からできた表現です)

フランスに憧れるアメリカ

ピエール=オーギュスト・ルノワール《舟遊びをする人々の昼食》1880-1881年

そんなアメリカもまた、根深いコンプレックスを抱えていました。

成り上がりの悲しさで、国に歴史はなく、国民に古典の素養もなし。

フランスのような長い王朝史を持ち、ルイ太陽王がヨーロッパ中に範を示した豪華絢爛な建物や文化財を有する国にとても憧れました。

そして資産形成した今、箔をつけるため子弟を渡仏させ、何とか新たな、自他ともに誇れる文化を形成したいと考えました。

すでにニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアなど、公立美術館の建設ラッシュを迎えていましたが、箱物はできても肝心の中身をどうするのかと考えたとき、アメリカ人画家にまだ力がないのは明らかでした。

話題を集めるのには、目玉商品は絶対必要です。

しかし旧大陸から名画を購入するにしても、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》などのような世界中からおおぜいの集客を見込める、超のつく傑作は、どんなに大金を積んだところで手に入るわけがありませんでした。

だからこそ戦争を機に盗もうとする人々が出てきました。

ヒトラーはパリを占領したとき、さっそくルーヴルから名画を運びだす算段をしています。

買えない絵と買える絵

名品に餓えたこのアメリカの状況が、印象派に幸いしました。

もとよりアメリカには古臭い官展も、絵画芸術はこうあるべきと決めつける強力なアカデミーの存在もありませんでした。

《モナリザ》が買えないなら、これから価値が出そうな新しい芸術作品を買えばいいと考えました。

そしてそれらは死後、寄付文化のアメリカらしく、大量に美術館へ寄贈されました。

エドガー・ドガ《ステージ上でのリハーサル》1874年頃

例えば、現在メトロポリタン美術館には世界屈指の印象派コレクションがありますが、これは砂糖王と呼ばれた大富豪ハヴメイヤー夫妻の寄贈です。 

アメリカ人がフランス絵画を買い漁る図を、ハリウッドが少々自虐的に映画化したのが 「巴里のアメリカ人」です。(映画とは若干ストーリーが違いますが2019年に劇団四季でも上演されています)

ここに登場するアメリカの富豪女性ミロは、絵そのものよりハンサムな画家本人(主人公ジェリー)が目当てで、彼を金でがんじがらめにしようとします。

映画は印象派を好む顧客に女性が多かったことへの、悪意のあるほのめかしでしょう。

フランスのプライド

クロード・モネ《サン=ラザール駅》1877年

印象派がアメリカ経由でフランス人の心をもしっかり捉え、絵の価格もみるみるうちに初値の何十倍、何百倍と吊りあがっていくのを目の当たりにしても、フランス・ アカデミーのお偉い先生がたの頑固ぶりは建在でした。

1894年に亡くなったカイユボットが、自らのコレクション70点ほどを国家に寄贈する旨、遺言を残すと、アカデミー は「こんな不潔なものは拒否するように」と、政府に要請しました。

なんやかんやで結局国は、しぶしぶ半分だけ受け取りました。(上の絵もその中の1枚)

そしてそれが今やオルセー美術館の中核になっています。

フランスの画家もプライドが高かった

でも面白いもので、印象派の画家たちもまた別の意味で、権威主義でした。

何に対してかと言えば、アメリカに対してです。

彼らはこれほど恩恵を受けながら、成金の新大陸だとアメリカを軽んじていました。食い詰め者

ヨーロッパのならずめ者が作った国という意識をもち、魅力薄だとして、決してアメリカへ行くことはありませんでした。

モネなど、あまりアメリカに自作を購入されたくないとまで公言しています。

新興国ごときに我々の芸術は理解できない、というフランス的傲慢さのあらわれなのでしょうか。

Netflixで話題になったドラマ「エミリー、パリへ行く」でも、このアメリカとフランス(アメリカがフランスに憧れ、フランスはフランス以外に厳しい)の関係がいまだにほとんど変わっていないということがよくわかります。笑(だからこそ炎上しましたが…)

アメリカへ渡った印象派の名作たち

ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1884-1886年

いずれにせよ、印象派作品はアメリカにごっそり持っていかれました。

スーラの最大傑作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のたどった道が典型例です。

この不思議な、夢のように美しい絵は、第八回(つまり最後の)印象派展に出品され、賛否相半ばする論議を呼びましたが、画家の存命中に売れることはありませんでした。

結局、シカゴのコレクターが破格の安さで購入し、この絵はフランスを離れアメリカへ渡っていきました。

その後、ようやく作品の真価に気づいたフランスは、買戻し団体を組織して、10倍の価格を提示しましたが、すでにシカゴ美術館の目玉作品となっていたこの絵が、もどってくることはありませんでした。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》1878年

他にも、ルノワール《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》や《舟遊びをする人々の昼食》、モネ「ラ・グルヌイエール」や「散歩、日傘をさす女性」、マネ「鉄道」といった、知名度の高い作品群もアメリカ所蔵です。

印象派は、絵画が商業利用される幕開けの、いわば先駆けでした。

クロード・モネ《散歩、日傘をさす女性》1875年

公立美術館が増え、誰もが気軽に絵画鑑賞可能になるにつれ、規範となる芸術、つまり古典という考え方は廃れ、専門家のお墨付きよりむしろ、多くの人に愛される絵が「傑作」と呼ばれるようになりました。

エドゥアール・マネ《鉄道》1873年

クラシックよりポピュラーが愛されるように(もちろんポピュラーの中の少数のほんものは、確実にスタンダードになるのですが)、画面が明るくてきれいなもの、何も考えなくていいもの、心地よいもの、癒し効果のあるもの、知識がなくても楽しめるもの、要するに印象派絵画が圧倒的に支持されるようになりました。