こんにちは!
今回は、アカデミー作品とはどんなものかについて解説します。
早速見ていきましょう!
アカデミー作品
アカデミー作品ってなに?

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ダナエ》1560-1565年
印象派が脱却しようとしていたアカデミー作品とは、いったいどんなものだったのか知っていますか?
それはひとことで言えば、 ごく一握りのエリートのためのもので、王侯貴族や教会や知識人など、特権階級が好んだ作品です。
というのも、彼らが絵を発注し、購入していたからです。
上の絵は、オウィディウスの『変身物語』を題材にした絵なのですが、この話を知らないと、この絵を見ても、「裸の女性と老婆と…なんか降ってきてるな???」と思うだけで、何のシーンの絵なのか全くわかりません。(最強の神が黄金の雨に変身して美女を誘惑するという話です)

ピーテル・パウル・ルーベンス 『マリー・ド・メディシスの生涯』より《マルセイユ上陸》1600-1625年
上のルーベンスの絵も、「なんかすごい派手なシーン…女王様みたいな人が出迎えられてるのかな???」と思って終わり…となってしまいますが、そもそも出迎えている人は人間ではありません。擬人像です。
どうやって絵を鑑賞すればいいかわからなかった

ニコラ・プッサン《サビニの女たちの掠奪》1637-1638年
一般向けの公共美術館ができたのは、フランス革命後です。
印象派が登場した時点でまだほんの5、60年というところでした。
しかもその間にも王政復古や戦争や内乱があり、市民が親しく名画に接することができるようになるのは、社会にある程度ゆとりができた後です。
そのため当初は、人々は「既存の美」とはどんなものか、絵はどうやって鑑賞すべきかを、専門家であるアカデミーに教えてもらう必要がありました。
聖書なら知識として頭に入っているのでどんなシーンが描かれているのかある程度わかるとしても、神話や歴史について知らないことは多く、絵画のアトリビュート(その人物を特定する持ち物)の知識も足りなかったので、背景のテーマを学ぶ必要がありました。
絵を純粋に見て楽しむというより、「勉強」の要素のほうが強かったかもしれません。
ちなみに上の絵は、古代ローマに女性が少なくローマ人がサビニ人の女性を誘拐して妻にした話が描かれています。
これも有名な話ですが、知らないと逃げ惑っている人々のごちゃごちゃした絵にしか見えません。
だからこそ、新たな購買層であるブルジョワ階級は、これまでとは全く違う、今自分たちが生きている近代社会にふさわしい、新たな価値観を持つ絵も見たい、もっと簡単にいうと、難しいことを考えずに気楽に見れてわくわくするような美しい絵を求め始めました。
読み解き絵画以外は芸術ではない
美術界の頂点に立つアカデミーは、そんな誤った考えを正そうと、使命感に燃えました。
古典の教養も無ければデッサンカもない若い画家の絵など「芸術」ではない、そのことを広く知らしめなければならないと考えました。
こうしてアカデミーは権威に固執し、国家の重要な文化行事であるサロンに、彼らの作品を断じて展示させまいとしました。
アカデミーの大御所ジェロームのプライド

ジャン・レオン・ジェローム《ピグマリオンとガラテア》1890年頃
特に強硬だったのが、 1869年のサロンでした。
審査員ジェロームが、モネ、ルノワール、シスレー、セザンヌなどを、ことごとく落選させました。
ジェロームは、フランス学士院会員にしてアカデミーの大御所でした。
上の絵はジェロームの代表作ですが、アカデミーが理想とする絵の要素(端正で様式的、上品なエロティシズム、抑えた色調、正しい遠近法、明快な形態把握、筆跡の見えない陶器のような肌)を備えた作品に仕上がっています。
しかし、神話の知識がないと、またもや「なんだかよくわからない絵」になってしまいます。(自作の彫像に恋して女神に祈って人間に変えてもらった話です)
要するにアカデミーの要求する絵画は、きわめて知的なもので、知識を総動員し、「読む」絵でした。
読むことで絵は、まるで映画のように動き出しました。
ジェロームはエジプトやトルコなど東方を舞台とした絵もたくさん描いており、それらは後世、ハリウッド映画に大いに参考にされたほどでした。