オペラ座は男女の出会いの場?観劇よりも楽しみにしていたことはなに?絵とともに解説!

こんにちは!

今回は、オペラ座について解説します。

早速見ていきましょう!

オペラ座は観劇より人間観察の場?

ピエール=オーギュスト・ルノワール《小さな劇場のボックス席》1874年

オペラ座は出会いの場

当時、新興ブルジョワジーが貴埃気分を味わうのに格好の場所であったオペラ座は、出会いのチャンスにあふれていました。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席で》1874年

今の私たちは、観客席は暗いもの、視線は舞台に集中するもの、口はつぐむもの、と思い込んでいますが、これは近代式劇場の姿にすぎません。 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《劇場にて (初めてのお出かけ)》1876-1877年

貴族の庇護のもとに生まれたイタリア式オペラ・ハウスはそれとは全く異なり、観客席は明るく、必ずしも舞台が見やすい形ではなく、馬蹄型のホールを数層の桟敷席がぐるりと取り巻く形になっていました。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《劇場のボックス席 (コンサートで)》1880年

1階の平土間はブルジョワ向け、桟敷席は大ブルジョワ御用達、最上階の立ち見の天井桟敷は安かろう悪かろうの席で、芸術家の卵や平民用でした。

男性は見て、女性は見られる?

メアリー・カサット《オペラ座にて》1879年

ルノワールの《桟敷席》の華やかに着飾った女性と比べると、カサットの描いた女性は、そっけなくて色気のない女性に見えてきます。

性的強調の少ない黒い服に身を包み、彼女に熱い視線を送る男性や鑑賞者には目もくれず、一心に舞台(もしくは誰か)へ視線を向けています。

遠くの座席からあからさまに身を乗り出して、オペラグラスで彼女を見てる男性客がいますが、なんとも間抜けな滑稽な姿に見えてきます。

そして私たち鑑賞者もこの間抜けな男性と立場的には同じです。

絵の外にいる鑑賞者と絵の中の鑑賞者を対比させる知的なシャレがこの絵にはあります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》1874年

ルノワールは「男性が見て、女性が見られる」ということを絵にしていますが、カサットは「女性も非常に積極的に見る」という行為を絵にすることで、見られる対象ではなく、見る存在として描いています。

カサットはこの絵で、「女らしさ」というものを批判しているのかもしれません。

メアリー・カサット《桟敷席》1878-1880年

メアリー・カサット《座っているリディア(桟敷席にて)》1879年

メアリー・カサット《桟敷席にいる真珠の首飾りの女性》1879年

劇が見えにくいのにボックス席が人気の理由

メアリー・カサット《ボックス席にて》1879年頃

ボックス型の桟敷席(4〜6人用)の大部分は、舞台より他の客席を眺めるのに都合よく出来ています。

シャルル・コッテ《オペラ座の桟敷席》1887年

真横に壁があるので、前方の手すり寄りに座らない限り、舞台はきわめて見えにくい造りになっています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《コンサートで》1898年

なぜこんな構造にしたかといえば、それは第一義が観劇にはなく、社交の場としての機能にあるからです。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《金色の仮面がついている桟敷席》

自宅の居間の延長のように使うので、 接客したり飲食したり、はなはだしくは上演中にカーテンを閉め、よからぬことにも使いました。

音楽はただのバックグラウンド・ミュージックに…。

エドガー・ドガ《オペラ座のボックス席》1880年

舞台と真正面に相対する2階中央桟敷席がロイヤルボックスですが、次にステイタスの高い席は、舞台に1番近い桟敷席でした。

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《桟敷席》

しかしここは舞台上手(または下手)のほとんど真上に位置しているため、一方の側からしか見えず、全体を俯瞰しにくい場所にありました。

そのくせ書割の奥や、控えている踊り子たちの姿が丸見えで、芝居における夢の効果をぶち壊します。

なぜこんな場所が貴賓席かと不思議に思うかもしれません。

エドガー・ドガ《バレエで》1880-1881年

というのもここは見る席ではなく、自分を見せる席でした。

舞台上空に浮いているようなこのボックス席に座れば、出演者たち以上に目立つことができます。

人々から嫉妬と羨望をこめた目で見つめられ、オペラグラスを向けられます。

エドガー・ドガ《桟敷席》1883年

政治家であればここで外国の要人を接待してみせ、貴族やブルジョワなら着飾った愛人、ドゥミ・モンディーヌを見せびらかしました。

まさに劇場一の権力と金力を示する場でした。

エドガー・ドガ《オペラ座のボックス席から見るバレエ》1884年

この特等席は別格として、他の桟敷席も全て、シーズン通して借りるのに莫大な費用がかかりました。

オペラ座に桟敷席を持つ、それは当時のブルジョワの男性たちの夢でした。 

エドガー・ドガ《オペラ座の舞台裏にいるリュドヴィック・ アレヴィとアルバート・ブーランジェ・カヴェ》1879年

夢がかなえば特権も与えられます。

つまり、いついかなる時でも劇場のどこへでも出入り自由となりました。

オペラ上演後のお楽しみ

エドゥアール・マネ《オペラ座の仮面舞踏会》1873年

金儲け第一主義時代の劇場は、他にもあの手この手を考えました。

カジノを併設したり、上演後に座席をはらい、真夜中の舞踏会場に早変わりさせたり…。 

マネの上の絵にその様子が描かれています。

仮面舞踏会とはいいながら、紳士は平気で顔をさらし、身元を隠したい上流階級の女性や高級娼婦、若い女性たちだけがアイマスクをつけています。