印象派の女性画家を超解説!あなたは何人知ってる?

こんにちは!

今回は、印象派の女性画家を紹介します。

早速見ていきましょう!

印象派の女性画家たち

印象派の画家たちは美術史において革命的な存在でしたが、ベルト・モリゾやメアリー・カサットのような女性画家たちは、二重の意味で革命的な存在でした。

彼女たちが闘わなければならなかったのは、印象派に対する風当たりの強さに対してだけではありませんでした。

19世紀の上層ブルジョワ階級に生まれた女性が画家の道を目指した結果、画家であろうとするがために社会と闘う必要があり、女性であるがゆえに自分自身を奮い立たせることを強いられました。

女性画家のみならず、現代でも多くの女性が直面する問題として、キャリアと結婚生活の両立があります。

彼女たちは印象派の画家としてだけでなく、女性としても社会に革命を起こしました。

夫はマネの弟 ベルト・モリゾ

エドゥアール・マネ《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年

画家というキャリアと結婚生活を両立することができたベルト・モリゾ。

パリの官立美術学校がようやく女性に門戸を開いたのは、モリゾが世を去った2年後の1897年になってからのことでした。

19世紀になっても女性が裸体をデッサンすることは「不道徳」とされ許されず、ましてやモリゾやカサットのような上層ブルジョワ階級に属する女性が、職業を持つことなど考えられない保守的な時代でした。

なのでキャリアと結婚がどうの以前に両親が画家になることを許さないことの方が多いのですが、モリゾの両親は2人とも芸術家になる夢を果たせなかったためか、モリゾ姉妹に芸術的才能があることを喜び、あらゆるサポートをしました。

ベルト・モリゾ《ブージヴァルの庭にいるウジェーヌ・マネと娘》1881年

さらに、モリゾは当時としては異例なケースで、夫の全面的な支援のおかげで結婚後も画家として仕事を続けることができました。

これも本当に稀なケースで、なぜモリゾの夫が協力的だったかというと、理由の一つとしては、彼がマネの弟だったからです。(というよりモリゾが絵を描き続ける許可を第一条件として結婚する相手に求めた)

ベルト・モリゾ《ゆりかご》1872年

モリゾは家族や日常を愛情を込めて描きました。

印象派の人気を作り上げた メアリー・カサット

メアリー・カサット《自画像》1878年

モリゾとは違い、最初から両立など考えておらず、芸術一筋だったメアリー・カサット。

アメリカ人の彼女がアメリカに印象派を広めてくれたからこそ、現在の人気があるといっても過言ではありません。

モリゾとは仲が良く、一緒に展覧会に行ったりもしていました。(とはいえ、ブルジョワ同士なので、馴れ馴れしい感じではありません)

メアリー・カサット《青い肘掛け椅子に座る少女》1878年

カサットも、というより、この時代の女性画家は、基本的に家庭内など身近なものを描いていました。

なぜかというと、ブルジョワの女性は1人で自由に外出することができなかったため、必然的に身の周りの人々や景色が絵の題材になりました。

メアリー・カサット《舟遊び》1893-1894年

マネ唯一の弟子 エヴァ・ゴンザレス

エドゥアール・マネ《エヴァ・ゴンザレスの肖像》1869-1870年

両立以前に、結婚・出産後に若くしてこの世を去ったエヴァ・ゴンザレス。

彼女は、作家の父と音楽家の母という芸術エリート一家の娘でした。

活発で外交的な性格だったエヴァをとても気に入り、マネの唯一の弟子になりました。

エヴァ・ゴンザレス《朝の目覚め》1877-1878年

エヴァは師であるマネの意見を受け入れ、マネと同じく一度も印象派展に参加することはありませんでしたが、そのスタイルから印象派の一人に数えられています。

また、彼女は印象派の画家たちのためにモデルを務めることも多くありました。

エヴァ・ゴンザレス《オペラのロッジ》1874年

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生きるために画家になった マリー・ブラックモン

マリー・ブラックモン《イーゼルの前に座る若い女性(自画像)》1916年以前

マリー・ブラックモンは、モリゾ 、カサット 、エヴァのような「お金持ちの家のお嬢様」という恵まれた環境で生まれ育ったわけではありませんでした。(印象派の男性画家もルノワール以外ブルジョワです)

したがって、画家の道を目指したのも生計を立てるためでした。

マリー・ブラックモン《アフタヌーンティー》1880年頃

しかし、版画家の夫が、マリーが絵を描くことを嫌がり、彼女の作品を非難し、マリーはどんどん元気がなくなっていき、あまり絵を描かなくなってしまいました。

画家としては大成することができなかった夫が、マリーの才能に嫉妬したからでは?といわれています。

マリー・ブラックモン《セーヴルのテラスにて》1880年

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印象派のスターといえば、モネやルノワール、そしてドガといった男性画家が輝かしい存在として思い出されがちです。

事実、長い間印象派の女性画家たちは彼らの陰に隠れてしまっていました。

彼女たちの存在と果たした役割が、美術史でも社会でも積極的に評価されるようになるのは、女性の社会的地位向上が進んだ第二次世界大戦後まで待たなくてはなりませんでした。