こんにちは!
今回は、マネが描いたモリゾをまとめました。
早速見ていきましょう!
マネとモリゾ
マネもモリゾも印象派を代表する画家ですが、モリゾが女性だったことから、画家同士の交流…というよりかは、2人は恋愛関係にあったのでは?なんていわれることも多かったり…。
実際のところはよくわかっていませんが、親しかったことは確かで、画家としてもモリゾはマネに大きな影響を受けています。
女性が男性に話しかけることすら難しい時代
1860年代始め、ルーヴル美術館で模写をしていたときに、マネとモリゾは初めて出会いました。
その後、画家ファンタン=ラトゥールを介し正式に紹介されたのが1868年のことでした。
当時、女性が1人で出かけることも、女性と男性が紹介なしに話しかけることすら難しい時代でした。
2人ともブルジョワだった
2人の家が近くにあったり、同じブルジョワだったことから家族同士の交流ができ、お互いの家で交互に開かれた夜会で、ドガのような将来の印象派の画家たちと知り会うことができました。
弟子ではなくモデルとして
モリゾはマネの弟子というわけではありませんが、マネのアトリエにモデルとして出入りしていました。
もちろんこのときもひとりで出かけることはできないので、母親と一緒にマネのところへ行っています。
マネが描いたモリゾ
マネは、モリゾをモデルとして油彩画だけでも11点描いています。
今回はその中から、9枚の肖像画+洒落た絵を紹介します。

エドゥアール・マネ《バルコニー》1868-1869年
座っている女性がモリゾです。
細かいところまでしっかり描いているのはモリゾのみで、他の人物は大雑把に描かれています。
なので、モリゾの強そうな表情がより目立っています。

エドゥアール・マネ《休息(ベルト・モリゾの肖像)》1870-1871年
白いドレスに、右手には扇子、そして強そう。
背景が暗いので、モリゾが浮き出ているように見えます。
後ろにかかっている絵は、簡略化されているのでよくわからないかと思いますが、当時流行した浮世絵です。

エドゥアール・マネ《マフをしたベルト・モリゾ》1869-1873年
手の部分に描かれているのが、マフと呼ばれるファーでできた防寒具です。
口元が少し開いているので、ふとした瞬間を切り取って描いた感じがあります。

エドゥアール・マネ《扇子をもつベルト・モリゾ》1872年
扇子で顔を隠しつつ、よく見ると目だけ見えているのも可愛いし、組んだ足をピンと伸ばしている感じも、なんかお洒落〜!!

エドゥアール・マネ《バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)》1872年
上の絵と同じとに描かれた作品です。
ピンクの靴をあえて見せているのお洒落。
上の絵もこの絵も、なんか友達が撮った写真で決めポーズしている感、堅苦しくなくて、リラックスしている感じがあります。

エドゥアール・マネ《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年
この絵が、マネが描いたモリゾの肖像画では一番有名です。
明るい背景に、全身黒なモリゾが浮かび上がっています。
最初の頃の絵のような強い視線ではなく、穏やかな表情をしています。
2人が打ち解けてきたのかな、なんて考えながら見るのも楽しい。

エドゥアール・マネ《すみれの花束》1872年
すみれの花束と赤い扇子、手紙には「モリゾ嬢へ マネより」と書いてあります。
絵のモデルを務めてくれたことへの感謝として贈った1枚だと考えられています。
おしゃれ〜!!
マネってこういうお洒落なエピソード多いな。
扇子はモリゾの愛用品でした。

エドゥアール・マネ《ソファの上のベルト・モリゾ》1872年
黒い服ばかりだな…。

エドゥアール・マネ《横たわるベルト・モリゾ》1873年
この絵、元々は上の絵のような感じで、ソファに横たわったモリゾの全身像が描かれていたのか、描いている途中で予定を変更したのか、切り取られてこの部分だけが残っています。
くつろいだモリゾが描かれています。
モリゾが最晩年を過ごしたヴェベールの家には、ドガが夫を描いた絵と共に、この絵を飾っていました。

エドゥアール・マネ《扇をもつベルト・モリゾ》1874年
マネがモリゾを描いた最後の1枚です。
この絵は、モリゾとマネの弟の結婚祝いとして描いた作品です。
右手で扇子を持ち、左手は結婚指輪が目立つように、小指を極限まで上げて描いています。
モリゾの結婚を機に、マネは描くことをやめています。
仲が悪くなったわけではなく、当時の慣習として、描くことをやめています。
その後もマネは、パステル絵具一式やイーゼルをモリゾにプレゼントしています。