バレリーナは娼婦?踊り子の画家ドガが描いたバレエ作品を一挙紹介!

こんにちは!

今回は、踊り子の画家ドガが描いたバレエ作品を紹介します。

早速見ていきましょう!

ドガとバレエ

作品の半分以上がバレエ

彫刻含むドガの作品半分以上が、バレエに関するものだったりします。

というのも、バレエの作品はよく売れたので、収入を得るためにたくさん制作しました。

ほぼ10年間、オペラ座に通い、ステージ、楽屋、レッスン風景を描きました。

彼は、ステージ上での踊り子よりも、舞台裏やリハーサルなど、踊り子たちのプライベートな瞬間をよく描いています。

バレリーナは娼婦?

当時のバレリーナは、娼婦的な側面が強く、脚を出すなんてハレンチすぎる!絶対にロングスカートという時代に露出度の高い衣装を着て踊りました。

全てはお金持ちのパトロンをつかまえるためです。

なので必然的に身分の低い少女たちがバレリーナになりました。

現在のように芸術性を高く評価され、お金持ちの子が習うイメージとは違います。

当時、女性が仕事をするということ自体、軽蔑されていました。

そもそも仕事がほとんどなく、あったとしても低賃金、女性が1人で生きていくというのは非常に厳しい時代でした。

オペラ歌手ですら、娼婦と紙一重だと思われていた時代、オペラの添え物でしかなかったバレエの踊り子の立場は…。

貧しい生活を脱出したい、もっといい暮らしがしたい彼女たちと、少女を買いたいお金持ちの男性の利害が一致すると、

そのバレリーナは主役をもらえたり、衣装や生活費を援助してもらうことができます。

当時は階級意識が強く、ブルジョワな彼らは、労働者階級の彼女たちに対して偏見を持ち、完全に見下していました。

ドガもブルジョワなので、彼らと同じように偏見を持ちながら彼女たちを描いていたのでしょう。

ちなみにドガはオペラ座に通っていましたが、少女のパトロンになったりはしていません。女性嫌いです。

踊り子の顔が醜い

パッと見バレリーナの絵なので可愛い感じがするのですが、彼女たちの顔を見れば見るほど「あれ…」ってなるんですよね。

これ、踊り子に美人がいなかったわけではなくて、上で言ったようなドガの偏見から、あえて顔をブサイクに描いたのでは?と考えられています。

醜く描くことで「労働者階級」の顔だと示しているともいわれています。

真相はわかりませんが、どの踊り子も特徴がなく、無個性なことから、個人を描きたかったのではなくて、大好きな馬と同じように、その動きに興味があったんだろうとは思います。

ドガが描いた踊り子

《オペラ座のオーケストラ》1870年

中央でフレンチ・バソンを演奏しているのがデジレ・ディオー、

左でチェロを演奏しているのがピレ。

ドガは、オペラ座の管弦楽団員である彼らと友人だったため、彼らの紹介でオペラ座に通うようになりました。

ダンスクラス、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、油彩

《ダンス教室》1870年頃

《バレエ教室》1871-1874年頃

踊り子を指導しているのは、ドガの友人であり、元バレエダンサーで振付師のジュール・ペローです。

《ホワイエでのダンスのリハーサル》1872年頃

《ル・ペレティエ通りのオペラ座のバレエ教室》1872年

《オーケストラ席の音楽家たち》1872年

元々横長の作品で、踊り子は下半身しか描かれていませんでした。

演奏者メインだった作品に、上部を追加することによって踊り子たちのいるステージにも焦点を当てた作品に変わっています。

《3人の踊り子》1873年

ダンスクラス

《バレエ教室)1873年

《リハーサル》1873-1878年

ダンスクラス、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、キャンバスに油彩

《バレエ教室》1874年

先ほどと同じくジュール・ペローが指導しています。

後ろの方では踊り子とその母親たちが描かれています。

リハーサルオンステージ、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917パリ)、パステルブラシとインクで描いた薄いクリーム色の織り紙の上にブリストルボードの上に置き、キャンバスにマウント

《バレエの舞台稽古》1874年頃

《舞台上でのバレエの稽古》1874年

《舞台の2人の踊り子》1874年

この2人の踊り子、なんとこの絵の上2つの中にも登場しています。

同じポーズですね〜!

エドガー・ドガ《リハーサル》 1874年頃、油彩・カンヴァス (C) CSG CIC Glasgow Museums Collection

《リハーサル》1874年頃

《エトワール》1876年

ドガの踊り子の絵で1番有名で人気のある作品かもしれませんね!

踊り子を上から見下ろすように描いているため、奥にいる黒服のパトロンや、控えにいる踊り子たちの姿も。

パリ・オペラ座のバレエの階級は5つあり、一番上が「エトワール」です。

《スター》1876-1878年

ダンサーバックステージ

《楽屋の踊り子》1876-1883年

黒い服はパトロンですね。誰のパトロンなんでしょうか…。

《アラベスクの終わり》1876年

ダンサーオンステージ、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917パリ)、商業用にコーティングされた薄い織りの黄色い紙の上にグラファイトを引きつけたグワッシュ

《ステージ上のダンサー》1877年頃

揺れるダンサー(ダンサー・イン・グリーン)、1877-1879

《緑の踊り子》1877-1879年

バレで練習するダンサー、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、キャンバス上のミクストメディア

《バールで練習する踊り子》1877年

左にあるじょうろは、バレリーナが踊るときにホコリが舞わないよう、床に水をかけるために、練習場に常備されていたものでした。

このじょうろと右の踊り子の形が似ているのがまた面白い。

《パリオペラ座でのバレエ》1877年

バレエダンサー

《踊り子》1877年

オールドオペラハウスのダンサー

《オールドオペラハウスの踊り子》1877年

詳細画像

《クラスの準備》1877年頃

黒い服は付き添いの母親です。

抱きついているのかわいい。

クラスの準備をする3人のダンサー、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、バフ色の織り紙にパステル

《クラスの準備をしている3人の踊り子》1878年頃

《花束を持った踊り子》1878年

《楽屋の踊り子》1879年

ダンスレッスン

《バレエ教室》1879年

ダンスレッスン、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917パリ)、パステル紙、3枚の織り紙に黒いチョークを合わせたもの

《ダンスレッスン》1879年頃

この絵を、画家カイユボットが購入、後にルノワールに遺贈しました。

《ダンスの試験》1880年

《バレエ教室》1880-1881年

バレエ教師が踊り子たちを指導し、彼女たちの母親が前景で読書をしています。

立派なバレリーナになるように(そして貧困から抜け出し、より良い暮らしのために)、母親は7、8歳になったら娘をバレエ教室に通わせていました。

ダンサー、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、パステル、木炭

《踊り子》1880年頃

バレエ

《バレエ》1880年

カーテン

《カーテン》1880年

パ…パトロンだらけ…笑

《座っている踊り子》1881-1883年

《待合室》1882年頃

踊り子は足をマッサージしています。

付き添いの女性は彼女の母親でしょうか。

オーディションまたは、その結果を待っているシーンです。

Loge

《桟敷席》1883年

緑のダンサー、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917年パリ)、紙にパステル

《緑の踊り子》1883年頃

《踊り子》1884-1885年

休憩中の踊り子たちが描かれています。

《階段を上がる踊り子》1886-1890年

詳細画像

《踊り子》1888年頃

《踊り子》1888年

《踊り子》1889年

エドガー・ドガ、ダンサーズ・オン・ザ・ステージ、1889年。

《舞台上の踊り子》1889年頃

リハーサル中の風景を描いています。

ダンサー、ピンクとグリーン、エドガードガ(フランス、パリ1834〜1917パリ)、キャンバスに油彩

《ピンクと緑の踊り子》1890年頃

右の方に、トップハットをかぶったパトロンの影が見えます…。

《踊り子》1890-1900年

バレエの前

《踊りの前》1890-1892年

詳細画像

《緑の踊り子》1896年頃

足をマッサージしています。

《休憩中の踊り子》1898年頃

詳細画像

《ベンチの踊り子》1898年頃

フォーダンサー

《4人の踊り子》1899年

詳細画像

《赤の踊り子》1900年頃

詳細画像

《3人の踊り子》1900-1905年

《踊り子》1905年

バレエシーン

《バレエシーン》1907年