モネが描いた妻カミーユとその儚い人生について

こんにちは!

今回は、モネが描いた、幸薄すぎる妻カミーユの絵と生涯についてです。

早速見ていきましょう!

最初の妻カミーユ

フランスの商人の家に生まれたカミーユは、10代で、モデルとして仕事を始めます。

身分違いの恋

1865年、18歳のとき、7歳年上のモネと出会い、数多くの絵画のモデルを務めていく内に愛人関係に。

この頃のモネは、まだ売れていないので、2人は貧乏暮らしでした。

そして、モネの父親叔母は2人の関係に猛反対

資金援助を断たれてしまします。

なぜなら、モネの家は中産階級、カミーユの家は労働者階級身分違いの恋だったからです。

《バジールとカミーユ》1865年

《カミーユと小型犬》1866年

《緑衣の女》1866年

《庭の女性》1866年頃

カミーユが全員分のポーズをとったといわれている作品です。

偽装工作

カミーユが長男ジャンを妊娠したとき、モネはカミーユとは関係がないように見せかけて、家族から再び資金援助してもらうため、

カミーユを1人パリに残し、田舎の叔母の家に留まることで、家族から毎月小切手を受け取ります。

妊娠中のカミーユはお金がないままパリに取り残されてしまいます…。

モネの自殺未遂

出会った時から貧乏で、貧困の中妊娠して、ツラいのはこっちだよ!!!って言いたいところですが、経済的苦境で、

なんとモネの方が1868年にセーヌ川に身を投じ、自殺を図ります。

これは失敗に終わり、生き延びます。

《セーヌ川、ベヌクール》1868年

《夕食》1869年

《インテリア、夕食後》1868‐1869年

続く貧困生活

《昼食》1868‐1869年

座っているのがカミーユと息子のジャンです。

この絵を1869年のサロンに出品しますが、落選。

この頃のモネは、本当にお金がなく、電気暖房もない生活をしていました。

《ボート》1869年

反対されつつ結婚

《トルヴィルの浜辺で座っているカミーユ》1870年

1870年、モネとカミーユは結婚しました。

画家クールベが証人となり、モネの父親は結婚を認めなかったので欠席、カミーユの両親は出席しました。

《トルヴィルの浜辺》1870年

モネとカミーユと息子のジャンは、新婚旅行トルヴィルへ行きます。

モネがそこで描いた作品が、上の2枚です。

白い衣装がカミーユ、黒い衣装は画家ブーダンの妻です。

モネとブーダンは一緒に絵を描きました。

強風の中制作したため、絵具の表面に、海岸の砂や、貝殻の破片が付着していることがわかっています。

《瞑想、ソファの上のモネ夫人》1871年頃

《春》1872年

《太陽の下、ライラック》1872‐1873年

《ライラック、灰色の天気》1872‐1873年

《赤いハンカチ》1868‐1873年

《庭のベンチに座るカミーユ》1873年

《ひなげし》1873年

《アルジャントゥイユの牧草地を歩く》1873

《窓際のカミーユモネ、アルジャントゥイユ》1873年

《アルジャントゥイユの庭にいるカミーユとジャン・モネ》1873年

《ジャンと庭にいるカミーユ》1873年

《ベンチに座っている女性》1874年

《マダム・モネの刺繍》1875年

クロード・モネ《散歩、日傘をさす女性》1875年

カミーユと、長男のジャンが描かれています。

《庭のモネ一家》1875年

《アルジャントゥイユのモネの庭にいるカミーユと子供》1875年

モネの不倫

《牧草地で》1876年

1876年あたりには、モネとアリス(モネのパトロンの妻)が親密になっていたよう。

なんでパトロンの妻横取りしてるの?って話はこちら↓

《丸みを帯びた花壇》1876年

もし、カミーユが気づいていたとしたら、どんな気持ちでモデルを務めていたのかな〜〜つらみ。

《アルジャントゥイユの庭園にいるカミーユ・モネ》1876年

《庭にいる女性》1876年

《牧草地で》1876年

ジャポニズム

《ラ・ジャポネーズ》1876年

1860年代以降、フランスは日本ブームで、和服を着たヨーロッパの女性の絵の人気がありました。

金髪のかつらのカミーユが、着物風の服を着て描かれています。

この絵は、第2回印象派展で好評で、2000フランで売れていますが、経済的困窮は解消されたわけではありませんでした。

《スミレの花を持つカミーユの肖像》1877年

1877年くらいから、カミーユの体調はどんどん悪化していきます。

モネは相変わらず借金に追われ、悲惨な状況に…。

《庭、、ホリーホックス》1877年

1878年、次男のミシェル出産後、カミーユの体調不良はさらに悪化します…。

不倫相手の家族と一緒に住む

いろいろやばいなって感じですが、モネは、破産したパトロンエルネスト・オシュデとその家族、つまり不倫してるアリスと同居することに。

アリスは病気のカミーユを看護しながら、カミーユの子供の面倒も見ました。

人間関係がややこしい…。

モネが絵画の販売で得たお金の多くは、カミーユの医療費に使われていました。

なのでこの大家族は、暖房どころか、食べるものすらない生活を強いられていました。

そのときのカミーユの気持ち考えるとツラいな…。

モネの残酷な面が一番出ている作品

《死の床のカミーユ》1879年

1879年、32歳という若さで、カミーユはこの世を去ります。

死因については、結核、がんなど、諸説あります。

この絵、モネの狂気が一番出ている絵です。

なぜなら、カミーユが死んで悲しいとか、愛しいカミーユの最後の姿を描き留めておきたいとか、そういう気持ちで描いたわけではないからです。

モネは、死にゆくカミーユの色の変化に強い興味があったんです。

刻々と変わっていく肌の色を描きたかっただけなんです。

最期のカミーユを見る画家の目は、冷静でした。

モネは、「自分でも無意識のうちに描いていた。描かずにはいられなかった。」とそのときのことを回想しています。

モネはこの絵だけは、生涯手放すことなく、手元に置いていました。

番外編 マネとルノワールが描いたカミーユ

エドゥアール・マネ《ボート》1874年

マネは時々、貧困のモネに対して財産支援していました。

この絵では、モネとカミーユを描いています。

エドゥアール・マネ《アルジャントゥイユの庭にいるモネ家》1874年

ピエール=オーギュスト・ルノワール《モネ夫人と息子》1874年

モネの1番の画家友達はルノワールです。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書するカミーユ》1872-1874年頃

まとめ

モネは、カミーユの死後、人物の顔を描くことをやめてしまいます。

以降は、風景の中に人物を描いても、顔をぼやっとしか描かなくなります。(もちろん肖像画の場合は顔を描いています。)

カミーユが病気になる頃には、モネの心はアリスへと向かっていたわけですが、

じゃあアリスをモデルにしてモネが絵をたくさん描いたかというと、そうではないので、やっぱりモネにとってカミーユは特別だったんだなぁと思います。

カミーユが、モネが売れて経済的に安定する前に、貧困のうちに亡くなってしまったのが悲しい。

いつまでも貧困だし、モネは自分と子供を置いて死のうとするし、浮気するし、

それだけを見ると、とても不幸な人生にしか見えないけど、カミーユは幸せだったのかなぁ〜〜とか思って、カミーユの絵を見るといつもなんかモヤモヤする…。