こんにちは!
今回は、18世紀頃のフランスでは本を読む女性をどう見ていたのかについてです。
早速見ていきましょう!
本を読む
ジャン・オノレ・フラゴナール《読書する娘》1775年頃
本を読むという行為は、今の私たちにはあまりに当たり前すぎて、何らかの意味合いが含まれているとは思いませんよね。
さらに日本は昔から世界に冠たる識字率の高い国で、江戸時代には国中いたるところに寺子屋があり、身分性別に関係なく、5、6歳の子どもたちは皆「読み書きソロバン」を学ぶことができました。
ラウリツ・アナスン・レング《遅めの朝食、新聞を読む画家の妻》1898年
これはすごいことで、今日でも日本のようにレベルの高い新聞が全国でこれほど読まれている国はほとんどありません。
というのも、欧米ではインテリの読む新聞(高級紙)と、それ以外の人々の読む新聞(ゴシップ多めの大衆紙)は値段も内容も全く違います。(なので読む新聞によってその人の階級や思想が大体わかってしまい、格付けされてしまう)
余談ですが、印象派をバカにしたことで有名なルイ・ルロワは大衆紙の記者です。(なぜ彼が有名なのかというと彼が印象派の画家を馬鹿にするために使った「印象」という言葉から「印象派」という名前が生まれたため)
アメリカなどはあまりにも広すぎる&一生を同じ土地で過ごす人が多いことから、全国紙よりも「ニューヨーク・タイムズ」などのように地方紙が人気という側面もあります。
ウィリアム・ヘンリー・ハント《本を読む女性(ウィリアム・ハント夫人)》1835年頃
識字率の割り出し方は難しいのですが、だいたい19世紀半ばのロンドンやパリで、2割以下だったと推定されています。
外国人居住者も多かったので、安易に日本との比較はできませんが、江戸では7、8割だったことから、想像よりはるかに読書人口は少ないものでした。
文字が読め、本を読む時間もたっぷりある女性となるとさらに数は限られ、そうした女性の姿が描かれるようになるのは18世紀半ばを過ぎてからでした。
ミシェル・シモニディ《読書》1912年以前
その後フランス革命で新聞やパンフレットが量産されましたが、それも皆が個々に読んだわけではありません。
革命派がカフェに集まったのは、そこへ行けば文字の読める人間がいて、音読してもらえるからでした。
多くの人は新聞を読んだのではなく、耳から聞いたのです。
ジュラ・ベンツール《森のなかで本を読む女性》1875年
やがて国全体が豊かになるにつれ、識字率は飛躍的に高まり、小説本も爆発的に売れるようになります。
いわゆる三文小説と呼ばれる、恋愛もの、お涙ちょうだいもの、冒険ものなども増えました。
知恵や理性のイメージが大きい「男性の読書」と対照的に、「女性の読書」は感情的・官能的な夢想ばかりの「小説」の読書として、好ましくないイメージがつくようになりました。
ギュスターヴ・クールベ《本を読んでいる若い女性》1866-1868年
すると下らない小説ばかり読んでいる女は、アルコール中毒の男と同じくらい、脳が破壊されると女性の読書が問題視されました。
読書人口が極端に少なかった頃、例えば1番上の絵のフラゴナールの少女なら、知的で静謐な美と讃えられていたのに、おおぜいの女性たちが小説に夢中になると、今度は由々しき事態と騒がれる…。
読書好きの女は知的な女性ではなく、むしろオバカな女と見做されていました。
レオン・デラショー《ベリーの室内、母と娘たち》1850-1919年
アンリ・ファンタン=ラトゥール《読書する女性》1861年
アンリ・ファンタン=ラトゥール《読書》1870年
フェデリーコ・ファルッフィーニ《読書家(クララ)》1865年
イジニオ・ウーゴ・タルケッティの小説『フォスカ』に登場する人妻だけど主人公と不倫している美女クララが描かれています。
ブサイクな男性が絶世の美女を口説き落とそうと奮闘する話はよくありますが、その逆パターンが『フォスカ』です。(醜い女性の名がフォスカ)
クララはフォスカにとっての恋敵…というわけではなく、むしろ主人公に「フォスカにはあなたしかいないのよ」と、自分よりフォスカを選べと諭すのがまたなんとも…。笑
カミーユ・コロー《本を読む少女》1869-1870年
クロード・モネ《春》1872年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書するモネ夫人》1876-1877年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書をする女性》1874-1876年
モデルは、ルノワールの当時の恋人マルゴです。
1880年に女子の公教育が制度化されたとき、「わたしが一番好きなのは、字が読めなくて、赤ん坊の尻のしまつができる女だね」と言ったのはルノワールでした。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《イラスト入り雑誌を読んでいる若い女性》1880年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《本を読む少女》1890年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《本を読む少女たち》1891年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《本を読む緑の服の女性》1894年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《本を読むココ》1905年
可愛らしい女の子が本を読んでいるように見えますが、この子は男の子でルノワールの息子です。
これは世界各国で見られる風習ですが、この時代でも男児は5、6歳頃まで女児服を着せされていました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《本を読む白い服の女性》1915-1916年
メアリー・カサット《縞模様のソファに座って読書をしているダフィー夫人》1876年
エドゥアール・マネ《鉄道》1873年
膝の仔犬が眠りこみ、子どもは退屈そうに眼下の汽車を眺めています。
彼女はそれほどにも長く、本に没頭していたのでしょう。
そしてふっと目を上げ、こちらを見ています。
ムンカーチ・ミーハイ《パリの室内(本を読む女性)》1877年
敷き重ねられた絨毯、貴族趣味のタピスリ、どっしりした家具調度、分厚いカーテン…印象派と違い、背景描写は執拗で、そのためいっそう閉塞感が伝わってきます。
当時、身分の高い女性は、1人で自由に外出することができなかったため、家の中で本を読んだりしながら時間をつぶしたのでしょう。
ムンカーチ・ミーハイ《本を読む女性》1880年代
ジャン=ジャック・エンネル《読書する女性》1880-1890年
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《白昼夢》1880年
友人ウィリアム・モリスの妻ジェーンがモデルで、ロセッティの不倫相手でした…。(ロセッティも結婚していましたが彼の不倫に妻が心を病んで自殺)
《白昼夢》というタイトルは同名のロセッティの詩に関連しています。
ケル・グザヴィエ・ルーセル《テラス》1892年頃
ラヴィ・ヴァルマ《リクライニング・ネア・レディ》1897年
使用人にうちわであおがれながら本を読んでいます。
服装と使用人がいることから身分の高い女性だとわかります。
ジェームズ・ジェブサ・シャノン《母と子(シャノン夫人とキティ)》1900-1910年頃
ジェームズ・ジェブサ・シャノン《砂丘にて(シャノン夫人とキティ)》1900-1910年頃
アンリ・モリセット《読書》1901年
フレデリック・カール・フリージキー《本を読む少女》1903-1904年
石橋和訓《美人読詩》1906年
石橋和訓は、ロンドンのロイヤル・アカデミーでJ. S. サージェントなどから学びました。
女性が本を読むことが一般化していた、当時の社会的な背景が窺える作品です。
E・フィリップ・フォックス《キンレンカ》1912年頃
カール・ホルスーウ 《読書する女性のいる室内》1913年以前