こんにちは!
今回は、ウィリアム・モリスについてです。
早速見ていきましょう!
ウィリアム・モリス(1834-1896年)
ウィリアム・モリス《自画像》1856年
ウィリアム・モリスは、イギリスのデザイナーです。
ブルジョワ
ロンドン郊外、ウォルサムストウで4人の姉妹、4人の弟の長男として生まれました。
父親は裕福な証券マンでブルジョワでしたが、質素な家庭環境で育ちました。
9歳のときまで家庭で勉強しました。
13歳のとき、父親が亡くなってしまいます。
しかし、父は莫大な株資産を残したので、成年になり遺産を相続して大金持ちになります。
聖職者を目指していた
14歳のとき、聖職者の弟子のためのモールバラ私立校に入学しました。
17歳のとき、自主退学しました。
18歳のとき、聖職者を志し、オックスフォード大学に入学し、バーン=ジョーンズに出会い、2人は終生の親友となりました。
在学中に2人で出かけたフランス旅行で、芸術作品に魅了され、2人は聖職者を目指すことをやめ、モリスは建築家、バーン=ジョーンズは画家を目指すことを決意しました。
つくることの楽しさ
22歳のとき、大学を辞め、建築事務所G・E・ストリートに弟子入りします。
先輩にフィリップ・ウェッブがいました。
しかし9か月で辞めてしまいます。
バーン=ジョーンズと2人でロンドンに部屋を借りました。
自分好みのインテリアを自作し、装飾の面白さに気付きます。
23歳のとき、初仕事としてロセッティたちとオックスフォード学生会館の壁画を共同制作しました。
ファム・ファタル
ウィリアム・モリス《ゲネヴィアの王妃》1858年
25歳のとき、ジェーン・バーデンと結婚しました。
上の絵は、現存するモリス唯一の油彩画で、ジェーンをモデルに描きました。
モリスは彼女を教育し、フランス語やイタリア語を習得し、ピアノを弾き、上流階級のマナーや発音をマスターしました。
2人の間には、2人の娘が生まれました。
レッド・ハウス
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・モリス、エドワード・バーン=ジョーンズ《塗装パネル》1860年頃
26歳のとき、フィリップ・ウェッブ設計の新居レッドハウスに入居しました。
上の木製パネルは、4つのセットのうちの1つで、レッドハウスの応接室にあった家具の一部であったと考えられています。
詩人
バーン=ジョーンズ《バーン=ジョーンズに詩を朗読するウィリアム・モリス》1861年
モリスは、自分で書いた難解で長い詩を友人のバーン=ジョーンズや妻のジェーンに読み聞かせていました。
それをバーン=ジョーンズが風刺して描いたのが上の絵です。(笑)
この頃から書き始めた叙事詩「地上の楽園」を36歳のときに完成させ、詩人としても名声を得ています。
会社を設立
27歳のとき、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立しました。
万博で宣伝したおかげで注文がくるようになり、ステンドグラスや家具などを制作しました。
30歳のとき、最初の壁紙が出来上がりました。
モリスはデザインして製品化するという仕事のあり方を生み出しました。
奇妙な関係
37歳のとき、テムズ川上流にあるケルムスコット・マナーをロセッティと共同で借りました。
ロセッティはジェーンをモデルに絵を描くだけでなく、彼女に好意を抱いており、さらに、ジェーンもロセッティのことを愛していたため、2人の仲がモリスにとって悩みの種でした。
ロセッティがジェーンをモデルに描いた《プロセルピナ》の詳細はこちら↓
モリス商会
モリス商会、ウィリアム・モリス《ヒエンソウ》1874-1875年
41歳のとき、商会のメンバーが画家に建築家にと忙しくなったことから、モリスはデザイン活動を独立させようとモリス商会を単独で創立しました。
モリス商会、ウィリアム・モリス《吟遊詩人》ステンドグラス 1872-1874年
植物の模様の壁紙やステンドグラス、インテリア製品や美しい書籍を作り出したことから、モリスはインテリアデザイナーの元祖ともいわれています。
当時、産業革命の結果として大量生産による安価で粗悪な商品があふれていました。
モリスはこの現状を変えようと、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を一致させようとするデザイン思想を実践し(アーツ・アンド・クラフツ運動)、各国に大きな影響を与えました。
社会活動家
この頃、社会活動にも熱中しました。
43歳のとき、オックスフィード大学の詩学教授の指名を断り、古建築物保護協会(S・P・A・B)を設立しました。
S・P・A・Bは、現在でも世界中で活動しています。
47歳のとき、マートン・アビイ染色工場を開始します。
モリス商会、ウィリアム・モリス《いちご泥棒》1883年
49歳のとき、民主連盟に参加し、「いちご泥棒」を制作しました。
モリス商会、ウィリアム・モリス《メドウェイ》1885年
51歳のとき、社会主義同盟を結成しました。
モリス商会、ウィリアム・モリス《柳の枝》1887年
モリス商会、ウィリアム・モリス、ジョン・ヘンリー・ダール《果樹園》タペストリー 1890年
57歳のとき、ケルムスコット・プレスを設立し、「チョーサー作品集」などを刊行しました。
この頃には、糖尿病が悪化し、体調を崩していました。
62歳のとき、自宅で亡くなりました。
墓標はフィリップ・ウェッブがデザインしました。
まとめ
・モリスは、デザイナーの元祖