こんにちは!
今回は、ギリシャ神話に登場する伝説の王テセウスを解説します。
早速見ていきましょう!
テセウス(シーシアス)
ローラン・ド・ラ・イール《岩を持ち上げるテセウス》1630年代半ば
ギリシャ名:テセウス、ローマ名:テセウス、英語名:シーシアス
二面性を持つアテナイの伝説的王です。
第10代目アテナの伝説的な王テセウスは、絶大な人気を誇る英雄でした。
ただし、冒険がはじまった当初こそ人気者だったものの、間もなくとんでもないならず者だということが明らかになります。
クズな父親
テセウスの父は、アテナイ王アイゲウスです。
一筋縄ではいかない人物で、息子がいないのを気に病んでいました。
あるとき、トロイゼンを治める友人を訪ね、彼の美貌の娘アイトラーに恋をしました。
しかし、彼女を島に連れ去って思いのまま楽しむと、あっさり関係を解消します…。
ところが、万が一男の子を身ごもり、その子が「自分にふさわしい」人物に育ち、即位できる年齢に達したら、岩の下に隠したサンダルと剣を持たせ、自分のもとに送り出すよう言い渡しました。
なんて身勝手な…。笑
義母メディアに殺されそうになる
ニコラ・プッサン、ジャン・ルメール《父の剣を見出すテセウス》1638年頃
テセウスが16歳になると、母アイトラーは、ポセイドンの子ではなく、アイゲウスの息子である事を教え、アイゲウスが自分の息子である証の品を隠した岩を見せました。
テセウスはひょいと岩を持ち上げ、サンダルと剣を手に入れると、父のもとへ向かいました。
その頃アイゲウスは、よりにもよってイアソンに捨てられたメディア(イアソンとの子供を殺して逃走)と結婚していました。
メディアは、この邪魔な世継ぎを毒殺しようとしますが、テセウスが毒を飲もうとした瞬間、アイゲウスはサンダルと剣を目にし、実の息子だと悟りました。
ミノタウロス退治へ
エドワード・バーン=ジョーンズ《タイルデザイン-迷宮のテセウスとミノタウロス》1861年
アイゲウスは、実の息子との再会を喜び、メディアを追い出し、王位をゆずる準備にかかりました。
時を同じくしてテセウスは、アテナイ市民が9年ごとにクレタ王ミノスに、少年少女7人ずつを生贄にしていることを耳にしました。
その14人は、ミノタウロスに食べられてしまいます…。
アイゲウスが、パンアテナイア祭で多くの賞を獲得したミノスの息子を妬み、殺してしまったことが原因でした。
憤慨したテセウスは、アイゲウスの必死の制止を振り切り、生贄の1人となってミノタウロス退治に行くことを決意しました。
アリアドネとの約束
ジョシュア・レノルズ《アリアドネ》
ミノタウロスへの生贄の1人となったテセウスは、クノッソスの港に到着しました。
そこでなんとクレタ王ミノスの娘アリアドネがテセウスに惚れてしまいます。
何とか彼を助けたい一心で、異父兄弟ミノタウロスや父を裏切り、テセウスに「手助けをするので、生き延びたら私を遠くへ連れて行って結婚してください」と頼みました。
テセウスは喜んで約束しました。
アリアドネは、ミノタウロスの住む迷宮を建設したダイダロスに脱出方法を聞きに行き、手渡された糸をたどって戻ってくればよいことを教わりました。
約束を守らない
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《バッカスとアリアドネ》1520-1523年
テセウスは、やすやすとミノタウロスを倒すと、クレタ王女アリアドネのくれた糸を使って迷宮を脱出し、一緒に島をあとにしました。
しかしこの後、テセウスは父親譲りのクズっぷりをみせます。
恩知らずにも、アリアドネを無人島に置き去りにします。
幸いにも、ぶどう酒の神バッカスが泣きじゃくるアリアドネを見て不憫に思い、なぐさめているうちに彼女に恋をし、2人は結婚しました。
人でなしで不誠実な男の代わりに神と結ばれたので、アリアドネにとってはハッピーエンドかもしれません。
父親の死の原因に
テセウスの悪行は続きます。
アイゲウスは、息子テセウスに「もしお前が無事に帰ってきたら、船に白い帆を張って遠くから朗報を伝えてくれ」と頼んでいました。
それをうっかり忘れていたのか、王位を狙って老いた父王に心臓発作を起こさせようとしたのかはわかりませんが、テセウスは黒い帆を張ったまま帰還しました。
息子が死んだと勘違いしたアイゲウスは、岩から身を投げて命を断ちました。
アテナイ市民がミノタウロスに生贄を捧げなければならなくなったのも、もとはといえばアイゲウスのせいなので、自業自得といえばそれまでですが…。
アイゲウスが身を投げた海の名は「エーゲ海」、彼の名が語源になっています。
昼ドラ
アレクサンドル・カバネル《パイドラ》1880年
アテナイに帰ったテセウスは、ヘラクレスと共にアマゾネスの地に向かい、女王アンティオペを妻にしました。
2人の間にはヒッポリュトスという息子が生まれますが、アンティオペが亡くなると、テセウスは無節操にもアリアドネの妹パイドラと結婚しました。
けれども因果応報なのか、妻を寝取られそうになります。
息子のヒッポリュトスは女神ディアナを敬愛し、愛の女神ヴィーナスを軽蔑していました。
ヴィーナスは気を悪くして、パイドラに義理の息子であるヒッポリュトスへの恋心を吹き込みました。
嫌悪感にかられたヒッポリュトスは、義母をこばみ、逃げ去りました。
罠
ローレンス・アルマ=タデマ《ヒッポリュトスの死》1860年
パイドラは、ヒッポリュトスをこらしめてやりたいものの、自分が恋心を寄せたことが夫テセウスにバレてしまうことを恐れ、悩んだ挙句、ヒッポリュトスに乱暴されそうになったと嘘をつきました。
よくある手口ですが、テセウスは激怒し、ヒッポリュトスにポセイドンの呪いをかけます。
するとポセイドンは海の怪物を使い、ヒッポリュトスが戦車に乗って海辺を駆けているときに、馬に不意打ちをかけました。
馬は暴走し、ヒッポリュトスは岩の上を戦車に引きずられて苦しみながら死にました。
彼の死を知らせを聞いたパイドラは、後悔と悲しみから、首を吊って自害しました。
これで終わりかと思いきや、医学の神アスクレピオスは、ヒッポリュトスの死に心を痛め、彼をよみがえらせました。
自業自得
晩年のテセウスは、優れた統治手腕を発揮し、アテナイの行政機構を強化しましたが、市民からは嫌われ、皮肉にも自らが制定したばかりの市民投票によるオストラキスモス(追放処分)を受けました。
アテナイから遠く離れた地で、失意の中、没しました。