こんにちは!
今回は、ベラスケスの「ブレダ開城」を解説します。
早速見ていきましょう!
ブレダ開城
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見栄っ張りの絵
独立戦争の後半、オランダ側が大半の勝利を収めていました。スペインとしては面目丸潰れ、まれな勝利の瞬間を絵画に残すことで、戦意を鼓舞しようとしました。
宮廷画家たちに描かせた戦勝記念絵画12点の中で最も有名なのが本作です。
別名「槍」
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この絵の別名は「槍」。たくさん並んだ真っ直ぐな槍が強烈な印象を与えるからです。
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画面中央の2人の男性が主役です。左側はオランダの敗将ナッサウ、右側はスペインの傭兵隊長、スピノラ(ジェノヴァ出身)です。
敗者ナッサウと鉄の鍵
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ナッサウは身を屈めて、全面降伏の証としてブレダ城門の鍵をスピノラに手渡しています。
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この鉄の鍵はブレダ城の門の鍵で、敗者から勝者へ手渡します。鍵の引き渡しは征服者への全面的な降伏を象徴する行為です。
今でもヨーロッパの都市では、賓客を迎える際に鍵を渡すことがあるそう。
名将スピノラ
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50代半ばのスペイン軍総司令官スピノラ将軍は、わざわざ馬から降り、わざわざ帽子を取り、ナッサウから鍵を受け取る前に相手の肩に軽く手を置いて彼をねぎらい、ライバルに対する尊敬と配慮を示しています。
実際にスピノラはナッサウに対して、「どうぞ顔を上げてください」と声をかけたと言われています。
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首にはフランドル製のレースの襟飾りをつけ、たくさんの装飾用の金色の釘が打ちつけられた黒い鎧、胸には赤いサッシュ(リボンや帯の一種。ミスコンの優勝者が斜め掛けしている帯もサッシュ)を巻き、
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手には将軍杖を握り、脚にはスエードのブーツをはいています。
ベラスケスの自画像
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画面に向けて目を向ける人物が5、6人存在し、右端では市松模様の軍旗と茶色の軍馬に挟まれて視線をこちらに向けている男は、ベラスケス自身ではないかと考えられています。
ベラスケス自身が実際に戦場を訪れた経験はなく、ブレダの戦いについては書籍を読んだり、版画を参考にしたり、実際に戦った人々から話を聞いて描きました。
謎の白い紙
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画面右下に、折り目の付いた白い紙があります。一度この紙の存在に気がつくと、岩に張り付いているような不自然さが気になってきます。
多分この紙にベラスケスはサインや日付を書くつもりだったのでしょう。絵の中に自画像を描いたから紙には何も書き込まなかったという説もあるそう。
戦争の絵なのにあまりにもキレイすぎる?
ブレダの陥落は1625年に起こり、この作品はその出来事から10年後に描かれました。
ベラスケスはスピノラのエピソードを感動的に描き出しています。
しかし彼は必ずしも現実を追求して描いたわけではありません。この絵を見て何か違和感を感じませんか?戦争の泥臭さを感じますか?
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そう、描かれている人物があまりにもキレイすぎるんです。
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血で染まったはずの衣服や槍、
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靴などへの汚れをあえて描いていません。
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戦闘の様子は遠景にぼんやりと描かれているだけです。
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黒煙が上がっています。
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殺戮の風景のはずが、それらが明るい青空に溶け込み、一見すると美しい景色のようにすら見えてきます。
さらに、現実には存在しない小高い丘を描き入れています。
スピノラのその後の運命
名門貴族がなぜ傭兵に?
スピノラ将軍はスペイン人ではありません。イタリアのジェノヴァで最も名高い名門貴族の一つ、スピノラ家の長男として生まれました。
スピノラ家は侯爵位を持ち、銀行業を支配しており、莫大な資産を有していました。
ではなぜ彼が他国の将軍となったのでしょうか?
それは、家族内の権力闘争で敗れたからです。
33歳の彼は、当時、ジェノヴァの宗主国だったスペインの傭兵隊長になることを選び、スペイン国王(この時点ではフェリペ四世の父、フェリペ三世)と契約を結びました。
彼が率いた兵団も様々な国の人が混ざった集団でした。これは敵側も同じです。
その後、20年以上にわたって彼は戦で大活躍し、名声を高めていきました。
王の裏切り
しかし、ブレダ開城の後のスピノラを待っていたのは、あまりにも過酷な運命でした。
スピノラは、資金難に陥っていたフェリペ四世から約束されていた報酬を受け取ることができず、自らが率いる兵団のための借金が増え、破産してしまいました。
そしてスペインを恨みつつ、貧困の中で故郷ジェノヴァで亡くなりました。
この絵が描かれたのはその5年前のことで、ベラスケスがスピノラの運命を知らなかったわけではないでしょう。この絵を描きながら、スピノラに同情していたかもしれません。なぜならベラスケス自身の給料も滞りがちになっていたからです。
ベラスケスはスピノラと面識があり、彼の人間性に深く感銘を受けていました。そのため、観る者の心に彼の高潔さを深く刻み込もうと思いながらこの絵を描いたのかもしれません。