こんにちは!
今回は、ムリーリョの《無原罪の御宿り》を紹介します。
早速見ていきましょう!
無原罪の御宿り
耳の聞こえない娘がモデル
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《エスコリアルの無原罪の御宿り》1660-1665年
ムリーリョは自身の絵画の中で最大の成功をもたらしたテーマ、聖母マリアの純潔性をあらわした「無原罪の御宿り」に特化し始めました。
聖母マリアのモデルは、耳の聞こえなかったムリーリョの6人目の娘でした。
「無原罪の御宿り」ってなに?
「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義です。
つまりどういうことかというと、神の子イエスの母であるマリアも、原罪(性交)なしに生まれた汚れのない存在でなければならないとする、聖母の神聖を主張する教義です。(イエスも原罪なしに生まれています)
男性の存在なしに、神の力によって胎内に宿った瞬間が描かれています。
約束事を省略してわかりやすく
フランシスコ・パチェーコ《無原罪の御宿り》
「無原罪の御宿り」は、スペイン絵画によく描かれたテーマでした。
ムリーリョが活躍したセビーリャを中心とするアンダルシア地方は、聖母信仰が盛んな地域でした。
人々はマリアの誕生前の物語に関心を抱いていたこともあり、「無原罪の御宿り」という教義は、民衆の間で信じられ、絵画でも表現されるようになりました。
パチェーコが定めたルール
ベラスケスの師であり、画家で著述家のフランシスコ・パチェーコは、「無原罪の御宿り」を描く際のルールとして、細かな約束事を規定しました。
どんなルールかというと…
足の下に下弦の月を踏んでいる、12個の星の冠を戴く、聖母は12〜13歳の少女であること、聖母は胸に手をあてるか、合掌している、というものでした。
しかし、ムリーリョはその一部を省略し、独自の表現で純真無垢な聖母マリアを描きました。
16点の作品
ムリーリョはこの主題を20点ほど描いたといわれています。
その中から16点紹介します。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《栄光の処女》1600-1700年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《栄光の処女》17世紀
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1645-1655年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1650年頃
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1650-1655年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1660-1665年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《エスコリアルの無原罪の御宿り》1660-1665年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿りの聖母を6人の男性が祈っている》1660-1665年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1665年頃
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1665-1675年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1668-1669年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1670年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1670-1675年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《アランフェスの無原罪の御宿り》1675年頃
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1675-1680年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1681年
複製画を素人が修復して大変なことに…
The original, from a copy of Bartolomé Esteban Murillo’s work, and two restoration attempts. Courtesy of CEDIDA / EUROPA PRESS.
ムリーリョの《無原罪の御宿り》の複製画の所有者が、家具修理業者にこの絵の修復を1200ユーロ(約14万5000円)で依頼しました。
しかし2度にわたる修復作業の結果(1度目が右上、2度目が右下)、オリジナルとは似ても似つかないものになってしまいました…。
スペインには現在、専門家以外が芸術作品を修復することを禁止する法律がなく、度々このようなことが起こっています。
スペインの美術保全教会(ACRE)は声明で、法的保護がないことを非難し、今回の出来事は「意図的な破壊行為だ」と指摘しました。