こんにちは!
今回は、モネの連作『ルーアン大聖堂』を解説します。
早速見ていきましょう!
目次
連作「ルーアン大聖堂」
職人
モネ52、53歳のとき、ノルマンディー最大の都市ルーアンを訪れ、ノートルダム大聖堂の連作を30点以上描きました。
ルーアンという地名は知らなくても、ジャンヌ・ダルクは知っているはず。
ルーアンは彼女が火刑に処せられた地でもあります。
大聖堂をそんなにたくさん描くなんて、信仰深かったのかな…と思うかもしれませんが、そういうわけではありません。
天候や時間によって変化する光を描くのに大聖堂がちょうどよかったからです。もはや職人です。
婦人用下着店の試着室を間借り
モネは対面の建物2階の窓の前にイーゼルを置き、制作しました。
モネはこの連作制作中に4回部屋を変えています。
14つのキャンバスを横に並べ、光の変化に応じて素早くキャンバスを替えて描きました。
借りていた部屋の一つが婦人用下着店の試着室だったため、衝立で仕切りを作ってもらったそう。笑
悪夢にうなされながら描いた
モネは、妻アリスへの手紙に、次のように書いています。
「毎日、まだ見ることができなかった何かを発見し、付け加えている。実に苦労は多いが、進んでいる。……僕は疲れ切ってしまった。もうだめだ。……ある夜、悪夢にうなされた。大聖堂が僕の上に崩れ落ちてきたんだ。青やバラ色や黄色の石が降ってくるのが見えた。」
何時の絵かわかる
クロード・モネ《ルーアン大聖堂》1892年
例えばこの絵、箱根のポーラ美術館所蔵品なのですが、夕方6時頃の光を描いたと考えられています。
光と影で大体の時間を推測できるそう。
売れた
ジヴェルニーの家に戻って絵の続きを制作し、連作は54歳のときに完成しました。
55歳のとき、モネは、デュラン=リュエルに『大聖堂』1点につき1万5,000フランを要求しました(最終的に1万2,000フランで落ち着く)。
デュラン=リュエル画廊の「モネ近作展」で『大聖堂』20バージョンが展示され、注目を浴びました。
個展の開催前に8点の買い手が決まっていました。
「ルーアン大聖堂」30点!
実際には33点ありますが、画像を集めることができたのは30点だけでした…!
アルバーヌ塔
《ルーアン大聖堂:アルバーヌ塔》1892-1894年
上と下の2点は、大聖堂の建物の2階から描いたのではなく、屋外で描いています。
冬で寒く、外で何時間も制作するのは無理だと判断し、借りることのできる部屋を探しました。
《ルーアン大聖堂:アルバーヌ塔、曇天》1892年
正面から見た絵
《ルーアン大聖堂:正面から見た扉口(茶色のハーモニー)》1892年
ジャン・ルヴェ氏の店「グランデ・ファブリック」の上の階の部屋を借りて絵を描きました。
《ルーアン大聖堂:ファサードの習作》1892年
ちょっと斜めから
《ルーアン大聖堂:扉口、曇天》1892年
ジヴェルニーに一旦戻り、再度ルーアンに来たモネは、同じ部屋を借りることができず、ルーヴェ氏が所有する大聖堂広場にある別の建物の部屋を借りて制作を続けました。
《ルーアン大聖堂:扉口、昼下り》1893年
《ルーアン大聖堂:日没(グレーとピンクのシンフォニー)》1892-94年
《ルーアン大聖堂:西面、陽光》1894年
《ルーアン大聖堂:扉口(陽光)》1894年
《ルーアン大聖堂:日没》1892-1894年
《ルーアン大聖堂:ファサード(日没)》1892年
《ルーアン大聖堂》1892年
《ルーアン大聖堂:赤、陽光》1892年
婦人用下着店から描いた絵
《ルーアン大聖堂:西ファサード》1894年
モネは再び引っ越し、フェルナン・レヴィ氏(現在の観光局)が所有する婦人用下着&ファンションの店の2階の部屋を借りました。
《ルーアン大聖堂:ファサード(朝の効果)》1894年
《ルーアン大聖堂:扉口、朝の効果》1894年
《ルーアン大聖堂:朝の効果》1894年
《ルーアン大聖堂:扉口、朝の陽光(青のハーモニー)》1893年
《ルーアン大聖堂:ファサード》1894年
《ルーアン大聖堂:扉口》1894年
《ルーアン大聖堂:陽光のファサード》1892-94年頃
《ルーアン大聖堂:扉口》1894年
《扉口とサン=ロマン塔、陽光》1893年
《ルーアン大聖堂》1894年
「カプリス」から見た絵
《ルーアン大聖堂:扉口とアルバーヌ塔、悪天候》1894年
エドゥアール・モーキット氏の「カプリス」という新しい店(なのかノベルティストア「カプリス」なのか…フランス語がうまく訳せないので合っているのか微妙…)の部屋を借りて制作しました。
《ルーアン大聖堂:扉口とサン=ロマン塔、朝の効果(白のハーモニー)》1893年
《ルーアン大聖堂:扉口(朝の効果)》1894年
《ルーアン大聖堂:ファサードとアルバーヌ塔(朝の効果)》1894年
《霧の中のルーアン大聖》1894年
《ルーアン大聖堂:昼(扉口とアルバーヌ塔)》1893-1894年