こんにちは!
今回は、リヒターの作品が急に理解できたからちょっと皆さん聞いてくださいの回です。
早速どうぞ!
目次
ゲルハルト・リヒターと「レイヤーとフィルター」
先日、東京都国立近代美術館で開催中の「ゲルハルト・リヒター展」に行ってきました。
これが2回目、そしてこの時、急にリヒターの作品が附に落ちたというか、個人的に理解できました。
この解釈が合っているのかはわかりませんが、ちょっとあまりにもしっくりきてしまったので、今回記事にしてみました。
「ビルケナウ」とは何だったのか
まず、今回の展覧会の目玉作品「ビルケナウ」について展覧会が始まる前からず〜〜〜っとこれは何なのか、何を表しているのか疑問でした。
もちろん作品の背景は知っています。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りした写真をもとに制作した作品です。
ただ、どうしてフォト・ペインティング(写真をそっくりそのままキャンバスに描いた)を抽象画にする必要があったのか、絵に向かい合うように複製写真(しかもなぜか4分割)があるのか、さらにこれらの横にグレイの鏡があるのかがわかりませんでした。
今回の展覧会は、リヒター本人が展示構成を考えています。
ということは、彼がこれらをこの位置に展示したことには意味があるはず。
それは一体何なんだろうとぐるぐると考えていました。
1回目に来たときにはわからないまま展示室を後にしました。
その後、家で図録を読んだり(↑アマゾンなどでも購入できますが、展覧会場に置いてあるものと表紙が微妙に違います)、
ドキュメンタリー映画「ゲルハルト・リヒター ペインティング」(会場のミュージアムショップにも売っていました)や、ニコ美のリヒター展動画(ニコ美はいつも本当に楽しくて大好きなので知らない方は是非チェックしてみてください)を見ました。
これらはこれらでとても面白く、リヒターについてどんどん詳しくなっていきましたが、どうして「ビルケナウ」はあの形になったのかの答えは出ないままでした。
そして2回目の今回、この会場に来て、「ビルケナウ」をず〜〜っと見ていたら、急に全て理解できました。
そして「ビルケナウ」どころか、どうしてリヒターが「アブストラクト・ペインティング」「フォト・ペインティング」などを制作する一方で、複数枚のガラスを並べた作品や鏡作品を制作しているのか、全部全部一気に理解できてしまいました。
ひと言で言えば、それらは全て「レイヤーとフィルター」でした。
展示構成
「ビルケナウ」の展示空間について再度整理しておきます。
写真
まずもとになった実際の写真が4枚あります。
実際の写真とは言いましたが、この写真すらリヒターが加工しています。
森を歩く女性の写真は、女性らしさを強調するための加工をしているとニコ美で聞いてびっくりしました。
なのでそもそもこの時点で「本当に撮影された写真」ではありません。
ビルケナウの絵
次にリヒターの描いた抽象画「ビルケナウ」が4枚あります。
このキャンバスにそもそも描かれていたのは、写真を投影してそれをなぞって描いた絵です。
それがいつの間にか抽象絵画(アブストラクト・ペインティング)になっていたのが「ビルケナウ」です。
絵の複製写真
そして絵画と全く同寸の4点の複製写真があります。
これらは1枚をあえて4分割して、あえて少し隙間をあけてあります。
サイズ的に1枚を4分割しないと作れなかったわけではなく、「あえて」こうしています。
というのも、そもそも最初に分割せずに1枚で作っていたようです。
4分割した作品を少し離して展示することで、絵の中に十字が見えてきます。
これは十字架にも、はりつけにも、ナチスのマーク鉤十字にも見えてきます。
グレイの鏡
最後に、グレイの鏡が4枚設置してあります。
「ビルケナウ」関連の展示は全て4枚ずつあることがわかります。
グレイの鏡ですが、絵の具の色はわかるくらいの暗さです。
リヒター展に行った方はわかるかと思いますが、リヒターは会場内にさまざまな鏡やガラスを置いています。
普通の鏡やガラスから、真っ暗で映したものの色もわからずシルエットだけがかろうじてわかるようなものもありました。
どうしてこの鏡にしたのでしょうか。
わたしたちは何を見ているのか?
このグレイの鏡に映るビルケナウの展示室をずーっと眺めていて、鏡に映る絵を複製した写真を見ていて、ふと思いました。
「自分が事実だと思って見ているものが、本当に事実かどうかわからない」
自分が事実だと信じて疑わないことが、果たして本当に事実なのか、誰かのフィルターを通して信じ込まされているだけではないのか?
誰かのフィルターや、誰かの感情のレイヤーが重なった事実とは異なるものを事実だと思い込んでいるのではないか?
「ビルケナウ」で考えると、
事実(仮):アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所でのユダヤ人大量虐殺
※(仮)としたのは自分が直接見て確認したわけではないので絶対の「事実」だと言い切れないため。
↓レイヤー
撮影された写真
↓レイヤー
リヒターが加工した写真
↓レイヤー
フォト・ペインティング
↓レイヤー
アブストラクト・ペインティング:語り継がれた物語
たくさんの「感情のレイヤー」を重ねて描かれたのが「ビルケナウ」
さらにここから
・グレイの鏡ごしのアブストラクト・ペインティング
・アブストラクト・ペインティングの複製写真→グレイの鏡ごしの複製写真
これらを鑑賞者は見ることになります。
さらにここには作品を見る鑑賞者のレイヤーやフィルターが重なってきます。
わたしたちは「実際の写真」だと信じ込んでこの誰かの「鏡ごしの絵の複製写真」を見ているだけなのではないのか?
事実(この展示ではもとになった実際の写真)を見ているつもりでも、実際に見ているのは誰かのレイヤーやフィルターを通した情報(この場合はリヒターが手を加えたもの)なのではないか?
さらにそこに自分のレイヤーやフィルターを重ねているのではないのか?
リヒターの言いたいことはそこにあるのではないのかと思いました。
なんで写実的な写真が、最終的に抽象画になったのか。
それはリヒターにはこの写真がこう見えたということなのでしょう。
リヒターのフィルターや感情のレイヤーを重ねたのが「ビルケナウ」だと。
この理論で考えると、
「8枚のガラス」
リヒターは複数枚のガラスを角度を変えて並べて展示するシリーズがあります。
今までなぜガラス?と思っていましたが、これもレイヤーかぁ〜と妙に納得してしまいました。
作品を正面から見ると正面しか映らないというか見えませんが、横から見ると、いろんなものが反射して見えてきます。
「アブストラクト・ペインティング」
絵の具を大きなヘラで塗りたくったり削ったりした作品です。
これも言ってしまえば幾重にも重なる絵の具のレイヤーです。
「フォト・ペインティング」
写真をキャンバスに投影して描いた作品です。
とはいえそのまま元の写真を描いているわけではなく、写真を加工したり、描くときにぼかしたりしています。
さらにこの「フォト・ペインティング」を写真にした作品もあります。
この写真も、絵をそのまま撮影したのではなく、さらにぼかしたりと手を加えています。
元の写真→フォト・ペインティング→写真
これもレイヤーですね。
「カラーチャート」と「グレイペインティング」
カラフルな「カラーチャート」、この色たちを全部混ぜたらグレイになります。
ある意味「カラーチャート」と「グレイペインティング」はイコールの関係です。
見せ方は違うけど同じこと、どういうフィルターを通して見るかということです。
…ということでリヒターの作品は「レイヤーとフィルター」という概念を形にしたアートなのではないかと個人的に思いました。
作品について考えるのって楽しいなぁ。
リヒター展の詳細レポはこちら↓