こんにちは!
今回は、ルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》についてです。
早速見ていきましょう!
イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢
ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》1880年
裕福なユダヤ人銀行家カーン・ダンヴェール家からの注文で描かれた作品です。
モデルはダンヴェール家の長女イレーヌで、この時8歳でした。
1880年の夏に、パリのカーン・ダンヴェール家の庭で2回ポーズをとってから描かれました。
注文主に気に入ってもらえるように…
ルノワールが得意とする透明な絵の具によるグレーズ技法によって描かれた陶器のようになめらかで白い肌は、筆の跡がわからないほどきれいに仕上げていることから、注文主に気に入ってもらえるよう努力していることがわかります。
青みがかった肌に、ピンクの頬がなんともはかなげ。
一方、髪やドレスの部分は筆触分割という印象派の技法で描かれています。
しかしそれが、カーン・ダンヴェール夫婦にとっては描きかけの雑な絵に見えてしまったのかもしれません。
流行のヘアスタイル
前髪は額で真っ直ぐに切りそろえ、後ろ髪はリボンで束ねて背中にたらしているこの髪型は、当時流行していた少女のヘアスタイルです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《フラフープの少女》1885年
この髪型は、ルノワールが描いた同時代の肖像画にも何度も登場しています。
補色の効果
イレーヌの赤茶色の髪の毛と、背景の緑の生垣を対比させています。
また、青いドレスと光を表現する黄色を対比させたりと、随所に補色の効果(お互いの色を引きたてる効果)を取り入れています。
生垣に隠された意味
生垣や堀で囲まれた庭は、「閉ざされた園」つまり「汚れなき子宮」を意味し、聖母マリアの処女性を表すものとして、「受胎告知」の場面などに描かれてきました。
印象派の画家はルノワールに限らず、寓意画のような描かれているものから別の意味合いを読み解くような絵はあまり描きませんでしたが、この絵に関しては、イレーヌの純粋さを表すために生垣を選んだのかもしれません。
夫婦は気に入らなかった
カーン・ダンヴェール夫婦は、王侯貴族のような格式のある「古典的」な絵を好んだため、ルノワール描いた本作は気に入らず、代金の支払いを渋ったそう…。なぜルノワールに注文したの…。
数奇な運命
その後この絵は数奇な運命をたどりました。
この絵から11年後、イレーヌは裕福な銀行家と結婚しましたが、別れてイタリア人伯爵と再婚しました。
この絵は、最初の夫との間に生まれた娘ベアトリスに引き継がれました。
しかし、第2次世界大戦の最中、ナチス・ドイツに没収されてしまいます。
終戦後の1946年に74歳のイレーヌのもとに返還されました。
娘一家はアウシュビッツ強制収容所で亡くなっていました。(イレーヌが無事だったのは、娘のように社交界で華やかな生活を送っていなかったことや、ユダヤ人上流階級との付き合いがなかったため、ナチスに存在を気づかれることなく生き延びることができたそう)
イレーヌはこの絵に関心がなかったのか、それともいろいろ思い出して辛かったのか、3年後、絵を売ってしまいます。
競売にかけられたこの絵は、スイス・チューリヒの実業家で印象派のコレクターだったエミール・ゲオルク・ビュールレが、24万スイスフラン(現在のおよそ2億4000万円)で購入しました。
ビュールレは、ナチス・ドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人でした。
なんとも皮肉な話ですね…。
この絵も気に入らなかった
《ピンクとブルー》1881年
こちらもなんとカーン・ダンヴェール家注文作品です。
カーン・ダンヴェール家には、息子2人と娘が3人いました。
イレーヌの絵が気に入らなかったので、1枚ずつ描くはずが2人まとめて1枚で!と言われて出来上がった作品です。(枚数増やすと支払う代金も上がるため)
描かれているブルーの少女は次女エリザベス、ピンクの少女は三女アリスです。
しかし、出来栄えに不満だった母親のルイーズは、この絵を使用人の部屋に掛けさせたそう…。
これらの一連の出来事からルノワールは「あの家族は本当にケチ!!もう二度と仕事はしない!!!」と怒ったとか。でしょうね。