こんにちは!
今回は、絵に興味ない人でも誰もが知っている名画、モナ・リザについて解説します!
早速見ていきましょう!
目次
モナ・リザ
レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-1506年
正式名称は《フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像》です。
モデルは誰?
イタリアの貴婦人リザ・デル・ジョコンドがモデルです。(ということになっています)
夫であるフィレンツェの裕福な絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドが、レオナルドに「新居引っ越し祝いと、次男出産祝いとして妻の絵を描いて欲しい」と依頼した作品です。
モデル候補としては他にも、マントヴァ公妃のイザベラ・デステ、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチの愛人、特定のモデルではなく理想の女性像、レオナルドの母親、レオナルドの自画像(レオナルドの自画像を反転させるとモナ・リザと一致する)などなど…。
重要な証拠が見つかる
2008年1月、ドイツのハイデルベルク大学付属図書館が、所蔵古書の余白にラテン語で、
「レオナルド・ダ・ヴィンチがリザ・デル・ジョコンドの肖像と聖アンナを制作中。また政庁舎の大広間にも制作の予定。1503年10月」
という書き込みを偶然発見します。
信憑性という点では、この本の所有者が、レオナルドの友人でフィレンツェの書記官アゴスティーノ・ヴェスプッチだったこと、書き込みと史実が一致(政庁舎の大広間を飾る壁画の依頼を受けていた)ことから、高いと考えられています。
モナ・リザのモナって何?
モナはマドンナの短縮形で「私の貴婦人」を意味しています。
ラ・ジョコンダの2重の意味
レオナルド亡き後、レオナルドの遺言で、弟子のサライに「ラ・ジョコンダ (la Gioconda)」という肖像画を相続したことが、サライの個人的覚書に記されていました。
イタリア語の「jocund」は「幸福、陽気な」という意味です。
「La Gioconda」はモデルの姓であると同時に、「幸せな人」を意味する「La jocund」の語呂合わせにもなっています。
依頼主の元に絵が渡らなかった
この作品、晩年まで手を加え続けていたため、依頼者の元に届くことはありませんでした。
ただ、レオナルドが亡くなった時点で、完成・未完成に関わらず、注文の絵は依頼主に渡すルールがあったにも関わらず、なぜか弟子のサライに渡しています。
このことから、リザの肖像画というのは《モナ・リザ》とは別にある絵なのでは?などの説もあり、じゃあこの《モナ・リザ》って一体何の絵…と謎が深まるばかり…。
ちなみに《モナ・リザ》は弟子のサライがモデル説もあります。
何がそんなにすごいのか
ぼかされた輪郭
線で輪郭を描いていないんです!
絵の具を何度も塗り重ねて筆の跡が見えないようにし、輪郭線をぼかすスフマート(イタリア語で「煙」の意)という技法を使って描かれています。
描いてはぼかしの繰り返しなので、描くのに長い時間がかかります。
時には指を使って描きました。
この技法を生み出したのがレオナルドだとされています。
何でも最初にやった人が一番評価されます。
だからレオナルドもこの絵も有名なんです。
この技法で描くことによって、柔らかで不思議な表情を生み出すことに成功しています。
肖像画の革新
レオナルドは、北方由来の4分の3正面の硬い半身像から、微妙なねじれのあるゆったりとした半身像を作り上げました。
実際に《モナ・リザ》をマネて同じポーズをしてみるとわかりますが、長時間このポーズでいるのはかなりツライ不自然な姿勢をしています。絵で見ると自然なのに…。
以降、本作をまねて多くの肖像画が描かれました。
謎の微笑み
かすかな微笑みを表現するために、少し目を細めています。
さらに、右目は正面を向いていますが、左目は向かって右に流れています。
左右の視線をずらすことによって、ミステリアスな雰囲気を作り出しています。
レオナルドが肖像画を描く際に、瞳に必ず描いていた反射光の白い点がないことから、彼女は生者ではないともいわれています。
微笑んでいるから口周りに影が付いているのか、それともスフマートで描いたから陰影で微笑んでいるように見えるだけなのか…
スフマートで描かれたことによって謎めいた表情が生まれ、人を惹きつけています。
左右でわかれる表情
左側の表情は、ほほえんでいますね。
右側の表情は…濃い影の影響か、左側のほほえみとは違い、ちょっといじわるそうな表情をしてるようにも見えます。
ベール
彼女、ベールをしていることに気がつきましたか?
ベールは純潔さを象徴しています。
このベールがあることで、髪を平坦に表すことができ、顔を目立たせています。
腕と手と腹部
服を黒っぽく描くことで、白っぽい手が目立っていることや、腕を大きく描くことで、手前に出てる感を演出しています。
他と比べ陰影が足りない左手は、のちに手を入れる予定だった部分です。
この左手を証拠に、モナリザは未完成であるといわれています。
さらに、もともとは袖の色はサフラン色でしたが、色褪せてしまったのと、ニスの黒ずみで色が変わってしまっています。
下腹部には、妊婦のようなふくらみが見られます。
2004年の科学調査で、モナリザは、妊婦服グアルネッロを着ていることがわかっています。
そのことから、《モナ・リザ》は誰かを描いたのではなく、普遍的母性を描こうとしたのでは?ともいわれています。
青い背景
背景は、遠くに行くにつれて段々と青っぽくなっています。
色彩遠近法という手法で描かれています。
今となっては「遠くのものが青っぽく見える」というのは、当たり前じゃん〜って思ってしまいますが、
当時、光の屈折の作用で、こういう風に見えるということを、科学的に理解し、その色合いを絵画に応用しようって思いつくのがすごい。だからこの絵はすごいんです。
大きな山や川を背景に小さく入れることによって、遠近感を強調しています。
それにしても背景謎…
どこにいるのこの女性(笑)現実の風景っぽくない感じ…。
両端が切り取られている?
ラファエロ・サンティ《女性の肖像》1505-1506年
ラファエロが《モナ・リザ》を模写したときのスケッチとされています。
レオナルドの追随者《モナ・リザ》の模写 約1635-1660年
上の絵のような、モナリザを模写した作品いくつか残っています。
これらの作品と、《モナ・リザ》の決定的な違いは、両端の柱の存在です。
《モナ・リザ》には、柱の基部しか描かれていません。
このことから、モナリザの両端は切り取られたのでは?
とも考えられていましたが、2005年の調査結果では、両端は切り取られていないっぽいね、という感じで終わっています。
もう一枚のモナ・リザが見つかった?
《アイルワースのモナ・リザ》
レオナルドが描いたとされていますが、真贋が議論されている作品です。
先ほどの両端に柱が描かれている模写は、この《アイルワースのモナ・リザ》の模写なのでは?だからこの絵はレオナルドが描いた本物じゃない?なんていわれています。
この絵の女性は、《モナ・リザ》より10歳ほど若く見え、背景も異なり、作品のサイズも若干大きいです。
劣化があまり見られず、色彩が鮮やかなままで、大気や女性の表情に深みがないことや、
レオナルドが好んだ木板ではなくカンバスに描かれていることから、偽物だと主張する人もいます。
裸のモナ・リザ?
サライ《モナ・ヴァンナ》
レオナルドの愛弟子サライが描いた作品です。
この作品以外にも、ヌードバージョンの模写がいくつかあることから、レオナルドが描いた裸のモナ・リザが存在していたのでは?と考えられています。
盗難事件
1911年、ルーヴル美術館から《モナ・リザ》が盗まれます。
この事件によって《モナ・リザ》の知名度は上がりました。
盗難が発覚したのは翌日で、画家ルイ・ペローが《モナ・リザ》のスケッチをしにルーヴルに行ったところ、絵が無くなっていることに気がつきました。
ピカソが疑われる
その犯人として、以前「ルーヴル美術館なんて燃えてしまえ!」と言った詩人アポリネールと、その友人ピカソも事件への関与を疑われ、警察へと連行されています。
もちろん2人とも無実です。後に無関係だったことが証明されています。
真犯人は英雄扱い
もう見つからないかも…と思われていましたが、盗難から2年後、かつてルーヴル美術館の職員だったイタリア人のピンセンツォ・ペルージャが真犯人であることが判明しました。
その動機は「イタリア人のレオナルドの絵はイタリアにあるべきだ!」という愛国心から盗んだんだ、というものでした。
これに関しては、2年間も隠し持っていたいたことから、愛国心ではなくて、金に目が眩んだ説や、黒幕が別でいた説などもあります。
イタリアで裁判にかけられましたが、愛国者であると称賛されて、刑は軽く、6ヶ月間投獄されただけでした。
日本でスプレーを吹きかけられる
1974年、なんと東京国立博物館に《モナ・リザ》がやってきたことがあります。
そのときの美術館の身体障害者への対応にキレた足の不自由な女性が、赤色のスプレーをかけてしまいます…!
防弾ガラスに入っていたので絵は無事でしたが、もう二度と日本に来ることは無いでしょうね…
どんな理由であれ、抗議の仕方最悪かよ…
絵画を「読む」というのはどういうことなのか、ということをいくつか例を挙げて解説している入門書です。