こんにちは!
今回は、マネが描いたモリゾをまとめました。
早速見ていきましょう!
マネとモリゾ
マネもモリゾも印象派を代表する画家ですが、モリゾが女性だったことから、画家同士の交流…というよりかは、2人は恋愛関係にあったのでは?なんていわれることも多かったり…。
実際のところはよくわかっていませんが、親しかったことは確かで、画家としてもモリゾはマネに大きな影響を受けています。
女性が男性に話しかけることすら難しい時代
1860年代始め、ルーヴル美術館にあるルーベンスの24枚の連作「マリー・ド・メディシスの生涯」の1枚《マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸》を模写していたときに、マネとモリゾは初めて出会いました。
その後、モリゾ27歳のときに、モリゾ姉妹をマネに引き合わせてくれたのが、2人がルーヴル美術館で知り合った友人のファンタン=ラトゥールでした。
彼はマネともルーヴル美術館で知り合って以来の友人でした。
当時、女性が1人で出かけることも、女性と男性が紹介なしに話しかけることすら難しい時代でした。
弟子ではなくモデルとして
モリゾはマネを画家として尊敬していましたが、彼の弟子にはなっていません。
しかし、マネのアトリエにモデルとして出入りしていました。
ブルジョワ階級の女性が1人でカフェに行くことさえもない時代だったので、もちろんこのときも母親と一緒にマネのところへ行っています。
モリゾのような社会的階層の女性は、どこに行くにも付き添いが必要な時代でした。
マネに向かってポーズをとっていた彼女の脇には、母親が編み物などをしながらしっかりと控えていました。
モリゾの母は、娘と既婚男性であるマネの間がおかしなことにならないよう、細心の注意を払っていました。
当然、展覧会に行くときも、母親が付き添っていました。
モリゾとマネの間に恋愛感情があったのでは?とよくいわれていますが、何も証拠は残っていません。
しかし、彼女がマネを画家として崇拝していたことは確かで、モリゾがマネの作品のモデルとして何度も描かれていることから、マネが彼女に魅力を感じていたのは確かでしょう。
同じ社会的階級に属していた
同じブルジョワだったモリゾ家とマネ家は、家が近かったこともあり、家族ぐるみの付き合いをするようになりました。
モリゾ家の火曜日の晩餐会に対し、マネの母ウジェニーは木曜日に晩餐会を開いていました。
モリゾ家の晩餐会が保守的で節度があるものだったのに対し、マネ家の晩餐会は重石となっていたはずのマネの父親が他界していたために、招待客たちの間には遠慮がなく、モリゾ家の会よりもはるかに賑やかで、議論が大声で飛び交っていました。
独身のドガともマネ家で知り合いました。
そしてそれ以降、ドガはモリゾ家にも出入し親しく付き合うようになりました。
複雑な交流
モリゾの両親のマネ三兄弟に対する評価は低いものでした。
立派な成人男子であるマネ三兄弟が、尊敬に値する職業を持たずに金利生活を送っていることと、特にモリゾ家の男性陣、ベルトの父と弟は、マネ家が共和主義者であることが気に入りませんでした。
モリゾ家は反共和主義の王党派(オルレアン派)でした。
ドガのドレフュス事件にまつわるエピソードからもうかがえるように、当時のフランス人にとって政治的見解の違いは、現代の日本人が考えるよりもはるかに深刻な問題でした。
マネが描いたモリゾ
マネは、モリゾをモデルとして油彩画だけでも11点描いています。
今回はその中から、9枚の肖像画+洒落た絵を紹介します。
エドゥアール・マネ《バルコニー》1868-1869年
座っている女性がモリゾです。
細かいところまでしっかり描いているのはモリゾのみで、他の人物は大雑把に描かれています。
なので、モリゾの強そうな表情がより目立っています。
エドゥアール・マネ《休息(ベルト・モリゾの肖像)》1870-1871年
背景が暗いので、モリゾが浮き出ているように見えます。
後ろにかかっている絵は、簡略化されているのでよくわからないかと思いますが、当時流行した浮世絵です。
モリゾは3姉妹でしたが、姉2人が結婚して家を出て行った頃、マネのアトリエに通い、彼のためにポーズをとることに慰めを見いだすようになっていました。
そしてマネのモデルを務めることにより、彼女は画家として賞賛していたマネの制作過程を学ぶことができました。
しかし、彼女は決してマネを真似ることはありませんでした。
それどころか、マネが戸外での制作を試みるようになったのは、逆にモリゾの影響が大きいといわれているくらいでした。
エドゥアール・マネ《マフをしたベルト・モリゾ》1869-1873年
手の部分に描かれているのが、マフと呼ばれるファーでできた防寒具です。
口元が少し開いているので、ふとした瞬間を切り取って描いた感じがあります。
エドゥアール・マネ《扇子をもつベルト・モリゾ》1872年
扇子で顔を隠しつつ、よく見ると目だけ見えているのも可愛いし、組んだ足をピンと伸ばしている感じも、なんかお洒落〜!!
エドゥアール・マネ《バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)》1872年
上の絵と同じとに描かれた作品です。
ピンクの靴をあえて見せているのお洒落。
上の絵もこの絵も、なんか友達が撮った写真で決めポーズしている感、堅苦しくなくて、リラックスしている感じがあります。
エドゥアール・マネ《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年
この絵が、マネが描いたモリゾの肖像画では一番有名です。
明るい背景に、全身黒なモリゾが浮かび上がっています。
最初の頃の絵のような強い視線ではなく、穏やかな表情をしています。
2人が打ち解けてきたのかな、なんて考えながら見るのも楽しい。
エドゥアール・マネ《すみれの花束》1872年
すみれの花束と赤い扇子、手紙には「モリゾ嬢へ マネより」と書いてあります。
絵のモデルを務めてくれたことへの感謝として贈った1枚だと考えられています。
おしゃれ〜!!
マネってこういうお洒落なエピソード多いな。
扇子はモリゾの愛用品でした。
エドゥアール・マネ《ソファの上のベルト・モリゾ》1872年
エドゥアール・マネ《横たわるベルト・モリゾ》1873年
この絵、元々は上の絵のような感じで、ソファに横たわったモリゾの全身像が描かれていたのか、描いている途中で予定を変更したのか、切り取られてこの部分だけが残っています。
くつろいだモリゾが描かれています。
モリゾが最晩年を過ごしたヴェベールの家には、ドガが夫を描いた絵と共に、この絵を飾っていました。
エドゥアール・マネ《扇をもつベルト・モリゾ》1874年
マネがモリゾを描いた最後の1枚です。
この絵は、モリゾとマネの弟の結婚祝いとして描いた作品です。
右手で扇子を持ち、左手は結婚指輪が目立つように、小指を極限まで上げて描いています。
モリゾの結婚を機に、マネは描くことをやめています。
仲が悪くなったわけではなく、当時の慣習として、描くことをやめています。
その後もマネは、パステル絵具一式やイーゼルをモリゾにプレゼントしています。