こんにちは!
今回は、マグリットの家族と母の死を解説します。
早速見ていきましょう!
崩壊していたマグリット家
遊び人の父、心を病んだ母
マグリットはベルギーのレシーヌで生まれました。
父レオポルトは紳士服の商人(仕立屋)、母レジーナは裕福な肉屋の娘でしたが没落して結婚するまでお針子をしていました。
マグリットが小さい頃は、仕立屋の仕事が上手くいかず、経済的に不安定でした。
しかしある時、ココナッツで作った「ココリンヌ」という商標のマーガリンのセールスマンとして大成功を収め、突然お金持ちになりました。
父親は浪費家でギャンブルが大好きで、いつも家にいませんでした。
母親は敬虔なクリスチャンでしたが、父親は神を信じず教会には行きませんでした。
母親は重い神経衰弱を病んでいました。
父親は、あちこちに愛人をつくってほとんど家にいなかった代わりに、たくさんのお小遣いを息子たちに渡して甘やかしていました。
そのお金でマグリットは中学生の頃から娼婦の家に通っていました。
家族の肖像画
ルネ・マグリット《人の子》1964年
マグリットの絵の中に頻繁に登場する山高帽の男は、マグリットの自画像だとも、彼の父がモデルだともいわれています。
ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》1957年
山高帽の男とボッティチェリの《プリマヴェーラ》に描かれている花の女神フローラが一緒に描かれています。
これはマグリットの両親を描いた肖像画だともいわれています。
ルネ・マグリット《レイモン・マグリットの肖像》1923-1924年
マグリットには2歳下のレイモンと4歳下のポールの2人の弟がいました。
マグリット兄弟は超悪ガキ
マグリットは少年時代、弟のポールと一緒に信じられないようなひどいイタズラを繰り返す不良少年でした。
神父のような仮装をして教会ごっこをしながら「奇人になった」と呪文を唱えたり、道路で新聞に火を放ち「火事だ!」と叫び回ったり、他人の家の屋根の上を歩き回ったり、爆竹を人の家に投げ込んだり、近所の農家の鶏を盗んだりしました。
母親の入水自殺
ルネ・マグリット《恋人たち》1928年
14歳のある夜、母親(42歳)は、子供たちを寝かしつけると、家を抜け出し、そのまま行方不明となってしまいました。
彼女は亡くなる数年前から自殺未遂を繰り返していたようで、父は母が外に飛び出していかないように寝室に鍵をかけて閉じ込めていたこともありました。
地元の新聞で「ノイローゼの女性が行方不明」と報じられました。
ルネ・マグリット《冒険の衣服》1926年
そして約1ヶ月後、地元のサンブル川の河川敷で遺体として発見されました。
川にずっと浸かっていたため、発見されたときにはかなり傷んでいました。
上の絵の、白いヴェールをまとい、手を上に上げて横たわる人物に、入水自殺した母親のイメージが重ねられているともいわれています。
飛行船のようにも見える宙に浮かんでいる亀は、フランスのラルース百科事典の挿絵から採られたものだそう。
母親の死を悲しむのではなく…
ルネ・マグリット《問題の核心》1928年
母親が自殺した原因はわかっていませんが、父親にあると考えられています。
父は母が自殺する直前、息子3人を呼びつけ、母の前で十字架にツバを吐くように命じました。
息子たちはそれに従いました。
それが直接の原因かどうかはわかりませんが、きっかけのひとつではあったはずです。
当時のマグリットは悲しさよりも、周りから注目されたことが嬉しくて喜んでいたそう…。
布で顔が覆われた人物たち
ルネ・マグリット《生命の発明》1928年
のちにマグリットから話を聞いたルイ・スキュトネールによれば、川で母親が見つかったとき、白いナイトガウンの裾で顔が覆われていたとのことでした。
それは、入水するときに母親が自分でやったことなのか、それとも川の流れのせいで自然にそうなったのかは、はっきりしていません。
マグリットが実際に目撃したかどうかもわかっていません。
ですが、「自分が母親を殺してしまった」と感じたマグリットがそのトラウマを作品として表現してとしても不思議ではありません。
ルネ・マグリット《恋人たち》1928年
マグリットは後年、上のような布で顔を覆っている人物の絵を多数描きました。
これは『ファントマ』シリーズや、アメリカの探偵小説『ニック・カーター』シリーズの表紙に殺された女性の頭部が布で覆われている絵があり、それが元ネタだともいわれています。
ルネ・マグリット《対照的なトリック》1928年
この事件のあと、マグリット15歳のとき、一家はシャルルロワへ引っ越しました。
マグリットと弟たちは女性の家庭教師と女中によって育てられました。