こんにちは!
今回は、フェルメールの《ヴァージナルの前に座る女》についてです。
早速見ていきましょう!
ヴァージナルの前に座る女
ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る女》1670-1672年頃
部屋の中のやや暗い場所で、ヴァージナルの前に座る若い女性がこちらをまっすぐに見ています。
フェルメール最後の作品?
様式的な観点から、この絵画はフェルメールの後年の作品だと考えられています。
そして、43歳で病没したフェルメールの最後の作品だといわれています。
隠れている窓
光は、左上のタペストリーの裏に隠れている窓から差し込んでいるようです。
暗い窓と薄暗い部屋は、この絵が夜、もしくは雨戸を閉じた暗い部屋を描いたものであることを示しています。
カーテンの裏にある隠れた光源から差し込む暖かい光が、手前にあるヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴァージナルの前縁、女性の顔や上半身、背景の絵の一部を照らしています。
この効果により、こうした要素がテーマとして一体となっています。
女性の顔
薄暗い部屋とは対照的に、この女性の顔は鮮やかに照らし出されています。
彼女は魅惑的な眼差しと微笑でこちらを見ています。
また、白い絵の具で小さな光沢が描かれた唇が目を引きます。
フェルメールは女性の顔を首を飾る真珠のネックレスと、まるで宝石のような光沢のある巻き髪で取り囲むことで、きらめくように描写しています。
売春婦の絵
壁には、ディルク・ファン・バビューレンの《取り持ち女》が飾られています。
売春宿の場面が描かれているため、本作は純粋な「音楽と愛」の絵というわけではなさそうです。
ヴァージナルを弾く若い女性のふしだらな性格が暗示されています。
ディルク・ファン・バビューレン《取り持ち女》1622年
フェルメールの義母がこの絵(もしくは他のバージョン、もしくは模写)を所有していました。
この絵は、《合奏》の背景にも描かれています。
ヴァージナルの風景画
ヴァージナルの蓋の内側に描かれた風景は、デルフトの風景画家、ピーテル・ファン・アッシュの下の絵です。
ピーテル・ファン・アッシュ《田舎:夕方の効果》1699年
フェルメールは、《ギターを弾く女》でもこの絵を描き込んでいます。
この絵はフェルメールが所有していた可能性もありますが、彼の所有目録によると54枚の絵画のうち風景画と明記されていたものは1作品だけでした。
調和のとれた音楽と牧歌的な風景との伝統的な関係は、楽器の装飾に風景画が頻繁に使用されるということにも表れています。
ヴァージナル
女性が弾く高価な楽器は大理石を模した塗装がされ、蓋の内側は牧歌的な景色で装飾が施されています。
17 世紀の鍵盤楽器は一般的には脚を付けずに製作され、机の上に置くか、あるいは専用のスタンドの上に置いて使用されました。
そのため、所有者の希望に応じて楽器の高さを調節することができたのです。
不思議なことに、死去した直後に製作されたフェルメールの所有目録には、楽器は記載されていませんでした。
座っているこの女性は、《ヴァージナルの前に立つ女》の若い女性よりも快活に見え、手の位置、動き出しそうな姿勢、そして前に立てられた楽譜によってまさに楽器を演奏しているように見えます。
ヴィオラ・ダ・ガンバ
弦の間に弓を挟んだヴィオラ・ダ・ガンバは、左側の前景の床に置かれています。
弾き手のいないこの楽器は、観る者に彼女との合奏に誘い込むように置かれています。
ヴィオラ・ダ・ガンバはバロック音楽において重要な役割を果たしました。
楽曲において調和構造の鍵となる通奏低音を鳴らすために必要だったのです。
そのため、この絵は調和のとれた愛を意味するものとして解釈することができます。
ジェイコブ・キャッツ《愛が何を感じないというのか(Quid Non Sentit Amor)》1618年
さらにこの絵は、の寓意画からヒントを得て描かれた可能性があります。
この寓意画の中では男性がリュートを演奏していますが、もう 1 つの楽器は使われていません。
添えられた文章には、「2人の心が離れていても調和するように、ある楽器の音は他の楽器と共鳴する」という説明があります。
サイン
フェルメールは、女性の頭の横にある壁の目立つ位置に「IVMeer(IVMでひとつ)」というサインを残しています。
このサインは、写実的に描かれた室内から、作者の存在を観る者に主張しています。
対の作品?
ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に立つ女》1670-1672年頃
この絵は元々、上の絵と対になっていたのでは?ともいわれています。
両方の絵は同じ一反の布からできたキャンバスに描かれていました。
しかしそれだけで対の作品だと断定することは難しく、というよりも作風が全く違うので対には見えず、画家が単にあるテーマのバリエーションを探求していただけかもしれません。
贋作の可能性も…
一応真作ということになっていますが、絶頂期の作品に比べ、明らかに画力が落ちているため偽物では?ともいわれています。
というのも、女性の首が前に出過ぎていることや、スカートのひだの描写の手抜き感、厚みも質感もないぺらぺらのカーテン、光の粒の乱用、全体的に緊張感の欠けた画面構成など不自然な部分が多いからです。