怪奇的でグロテスク?モッサを超解説!忘れられた画家?

こんにちは!

今回は、モッサについてです。

早速見ていきましょう!

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ(1883-1971年)

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《画家の自画像または心理的肖像》1905年

ギュスターヴ=アドルフ・モッサは、フランスの画家です。

100年以上も前にこんな現代的感覚にあふれた絵が描かれていたことに驚かされます。

画家で美術館長の父親

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《ニースの夫人(天使の湾の寓意)》1904年

ニースで生まれたモッサは、パリ万博見物やイタリア旅行などはしても、ニースから滅多に離れることはなく、生涯を通じてこの地で暮らしました。

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《画家の父の肖像》

父親も画家で、同地でデッサン学校を経営し、ニース美術館館長を務めていました。

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《ヘレンのキス》1905年

父から絵画技法を学び、その後美術学校で学んだモッサは、アールヌーヴォーの画家やモローなどの作品に接して、象徴主義の画家になることを決意しました。

エログロ世紀末絵画

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《彼女(エル)》1905年

21歳頃から、怪奇的でグロテスクな世紀末絵画を手がけるようになりました。

女体表現こそ現代風ですが、古代ローマの詩やシンボルの知識を巧みに織り込んでいることからもわかるように、絵画を構築するためのモッサのアプローチは知的でアカデミックなものでした。

つまり、モッサの描く絵は「読む絵画」でした。

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ギュスターヴ・アドルフ・モッサ《飽食のセイレーン》1905年

この退廃的且つ怪奇的、きわめて特異な作風の油彩は大部分が20代で生み出され、当時は斬新すぎたのか評価されることもないまま、モッサ自身が封印してしまいました。

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ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《ピエロは去る》

ギュスターヴ=アドルフ・モッサ《ペルセウス》1907年

《スフィンクス》1906年

《死者》1908年

多才ゆえに絵にこだわりなし

《サロメ》1908年

そして第一次世界大戦で負傷した後は、多才ゆえに油彩画に執着することなく、ジャンルを問わずいろいろな方面に関心を向け、次第に絵画から遠ざかってゆきました。

《運命》1917年

挿絵や水彩画の仕事はまだしも、何作ものオペラやコメディの台本(今でもニースで上演されている)や詩を発表したり、笑劇の劇場運営に尽力したり、ニースのカーニヴァルの装飾を請け負ったりもしています。

美術館長に

《復活》

45歳のとき、父親の跡を継ぎ、ニース美術館の館長になり、88歳で亡くなるまで、その地位にありました。

つまり生前の彼はあくまで地方の名士にすぎませんでした。

《マグダラのマリア》1917年

モッサは、最晩年になって45点の作品をニース美術館に寄贈しています。 

こうした風変わりな経歴のためか、美術界からは一時忘れられていましたが、今は再評価の波が来ており、モッサの本格的な研究はこれから進んでいくはずです。

まとめ

モッサは、怪奇的でグロテスクな世紀末絵画を描いた画家