こんにちは!
今回は、エマオの晩餐についてです。
早速見ていきましょう!
エマオの晩餐
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1606年
新約聖書の「ルカ福音書」によれば、イエスの復活は次のようなものでした。
イエスの遺体が無くなる
十字架による処刑の3日後、マグダラのマリアたちが香油を持って墓へ行くと、石が動かされていました。
そこで中へ入ってみると、イエスの遺骸が消えていました。
呆然とする彼女たちの前に「輝く衣をまとった者(天使)」があらわれ、「3日後に復活する、との御言葉を忘れたか」と言いました。
マリアたちは仲間のところへ駆けもどり、これを伝えました。
しかし使徒たちは、遺体が無くなっているのは確認しましたが、復活についてのマリアの証言に関しては半信半疑でした。
いつの間にか1人増えてる…
コルネリス・ファン・プーレンブルフ《エマオへの道にキリストと2人の弟子がいるイタリアの山の風景》17世紀半ば
同じ日の夕方、この不思議について、イエスの弟子クレオパともう1人が議論しながらエマオ(エルサレムから10キ口ほど西北の町)への道をたどっていると、いつのまにか見知らぬ人が同行していました。
アルトベロ・メローネ《エマオへの道》1516-1517年
その旅人は、エルサレムで起こった事件について何も知らないようだったのでクレオパが教えると、彼は彼らを「心鈍き者よ」と呼び、なぜ預言者の告げた復活を信じないのかと言いました。
アレッサンドロ・マニャスコ《エマオへの道での話し合い》
晩餐と奇蹟
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1601年
いつしかエマオに到着しており、2人はその男も夕食に誘い、3人で食卓を囲みました。
マティアス・ストム《エマオの晩餐》1635-1640年
その人がパンを割いてクレオパたちに分けた途端、彼らの目が開き、 彼こそ復活したイエスであることがわかりました。
マティアス・ストム《エマオの晩餐》1635-1640年
そしてわかった瞬間、イエスは消えてしまいました。
レンブラント・ファン・レイン《エマオの晩餐》1648年
クレオパたちは皆にこの奇跡を知らせるべく、すぐさまエルサレムへ戻りました。
物語の意味
この物語は、信仰を持ち続けることの困難さを暗喩しています。
何かあるたびに凡人の信仰心は揺らぎ、復活の教えも信じきれず、迷いが生じます。
クレオパたちは、信仰の道ではなく、故郷エマオへ帰ろうとしていました。
そんな弱い彼らにイエスは寄り添って歩き、ついには目の前に現れて、彼らの迷いを吹き飛ばしました。
クレオパたちは、この後すぐエルサレムへ戻ったわけですが、これは信仰の道へ戻ったことを表しています。
様々な画家が描いた「エマオの晩餐」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《エマオの晩餐》16世紀
ヴェロネーゼ《エマオの晩餐》16世紀
ヤコポ・ダ・ポントルモ《エマオの晩餐》1525年
モレット・ダ・ブレシア《エマオの晩餐》1527年頃
ヤコポ・バッサーノ《エマオの晩餐》1538年
ティントレット《エマオの晩餐》1542年
ニコラ・レニエ《エマオの晩餐》1617年以降
ベラスケス《エマオの晩餐》1622-1623年
レンブラントの工房《エマオの晩餐》1660-1661年
ヨハン・ハインリヒ・フュースリー《エマオで消えるキリスト》1792年
パスカル・ダニャン=ブーベレ《キリストとエマオの巡礼者》1898年
ジャン=ルイ・フォラン《エマオの晩餐》1912-1913年頃
ハン・ファン・メーヘレン《エマオの晩餐》1937年