こんにちは!
今回は、ロマンチックな画家ドラクロワについてです。
早速見ていきましょう!
目次
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863年)
ウジェーヌ・ドラクロワ《自画像》1837年頃
ウジェーヌ・ドラクロワは、フランスのロマン主義の画家です。
ドラクロワの時代になると写真が残っているので探せば画家の顔写真が出てくるのですが、まぁ特徴的な顔なんですよね。
ですが、オシャレでコミュ力も高く、ロマンチックな画家だったそう。
父親はだれ…?
パリ郊外のシャラントン・サン・モーリスで生まれます。
父親は外交官、母親はルイ15世の宮廷の家具職人の娘、伯父はルーヴル美術館の肖像画家というブルジョワな家でした。
ただし、本当の父親は政治家で外交官のタラーレンだったのでは?なんて噂もあったり…。かなり濃厚な説だそう。
音楽の才能
幼い頃から音楽が好きで、ヴァイオリンやギターも上手だったりと才能もありましたが、7歳のときに父親が亡くなり、やめざるを得なくなります。
9歳のとき、次兄が亡くなります。
画家になる!
パリの名門校リセ・アンペリアルに入学、ドラクロワは優秀な生徒でした。
ある日、学校をサボってルーヴル美術館に行き、ルーベンスなどの巨匠の絵に衝撃を受け、画家になることを決意します。
メイド好き
16歳のとき、母親が亡くなり、孤児になります。
姉の所に住み、そこにいたイギリス人メイドにラブレターを送りますが、フラれます。
ジェリコーとの出会い
17歳のとき、ゲランの画塾に入り、先輩のジェリコーと仲良くなります。
18歳のとき、エコール・デ・ボザールへ入学します。
そこでは、ヌードや石膏デッサンを繰り返す毎日で、ドラクロワは飽きてきます。
21歳のとき、ダンテ「神曲」に夢中になります。
「メデューズ号の筏」の真似
《地獄のダンテとウェルギリウス》1822年
ある日、ジェリコーのアトリエに行くと《メデューズ号の筏》を制作している最中でした。
その迫力に感化され、ドラクロワも上の絵を描いています。完全に真似。(笑)
24歳のとき、この絵をサロンに出品し、先輩画家のグロの強力なプッシュによって入選し、国家買い上げとなります。
ジェリコーの若すぎる死
26歳のとき、ジェリコーが32歳という若さで亡くなってしまいます。
ドラクロワはものすごく悲しみ、ジェリコーの分まで人々を感動させるような絵を描こうと決意します。
賛否評論
ウジェーヌ・ドラクロワ《キオス島の虐殺》1824年
サロンにこの作品を出品します。
《地獄のダンテとウェルギリウス》は本の中の話でしたが、この作品は、実際に起こった事件を元に描き、議論を呼びます。
前回は好意的だったグロからは「絵画の虐殺だ!」と言われたように、保守的な画家たちからの評判はよくありませんでしたが、
作品は国家買い上げになり、大物新人として一目置かれるようになります。
28歳のとき、ヴィクトル・ユゴーらロマン派の文学者と付き合うようになります。
《サルダナパールの死》1827年
サロンにこの作品を出品し、非難されつつも、擁護する人も増えてきました。
レミゼ
《民衆を導く自由の女神》1830年
32歳のとき、フランス革命が勃発します。
翌年上の作品をサロンに出品し、国家買い上げになります。
『レ・ミゼラブル』でもおなじみの絵ですよね〜
ちなみにレミゼの著者ユゴーからは「彼は絵の中では革命的だが、人の中では保守的だ」とチクリ。
モロッコへ
ウジェーヌ・ドラクロワ《アルジェの女たち》1834年
34歳のとき、フランス政府の外交使節に随行する記録画家として、モロッコを訪問します。
そのときのデッサンをもとに制作したのが上の絵です。
やっぱりメイドが好き
《ジェニーの肖像》1840年
37歳のとき、ジェニー・ル・ギューを家政婦として雇います。
2人の間には娘も生まれています。
昔から変わらずメイド好きだな…。
この頃には、リュクサンブール宮殿、パリ市庁舎など政府関係の大建築の装飾を数多く手掛けるようになっていました。
あまりにも忙しすぎてか、過労による咽頭炎で話すことを禁止されます。
ジョルジュ・サンドと愛人のショパン
《フレデリック・ショパンの肖像》1838年頃
44歳のとき、ジョルジュ・サンドとその愛人のショパンと親交を深めます。
社会的に認められる
仕事はたくさんきていたものの、画家としての名誉、アカデミー会員には7回落選し、
51歳のとき、8回目でやっとサロン審査員になることができました。
1855年、57歳のとき、パリ万博が開催しました。
前年のロンドン万博に差をつけたいフランスは、「芸術」を目玉とし、ドラクロワとアングルの特別室をそれぞれ作り、作品を展示しました。
レジオン・ドヌール3等勲章を受章します。
65歳で亡くなります。
その生涯で残した作品は6千点以上でした。
アトリエ兼自宅は、現在では国立のウジェーヌ・ドラクロワ美術館となっています。
まとめ
・ドラクロワは、ロマン主義の画家で、鮮やかな色彩が特徴