馬を狂愛?超美男子画家ジェリコーの短すぎる生涯を解説!

こんにちは!

今回は、馬大好き美男子のジェリコーについてです。

早速見ていきましょう!

テオドール・ジェリコー

Jean-Louis-André-ThéodoreGericault(1791–1824)、Horace Vernet(フランス、パリ1789–1863パリ)、キャンバスに油彩

オラース・ヴェルネ《テオドール・ジェリコーの肖像》約1822-1823年

テオドール・ジェリコーは、フランスの画家です。

ジェリコーは美男子で、友人の画家にため息をつかせる程だったとか。

ブルジョワ

フランスのノルマンディー地方ルーアンで生まれます。

父親は資産家で弁護士、母親は検事の娘というブルジョワな家庭でした。

父親は息子に、画家以外の安定した仕事に就くことを望んでいました。

馬が好き

テオドール・ジェリコー《2頭の馬》1808-1809年

幼い頃から馬が大好きでした。

15歳のとき、名門のリセ、アンペリアル高校へ入学します。

17歳のとき、母親が亡くなり、多額の遺産を相続します。

カルル・ヴェルネのアトリエに弟子入りします。

19歳のとき、新古典主義の画家ゲランの画塾に入ります。

しかしゲランの教えに満足できず、ルーヴル美術館で巨匠の作品、特にルーベンスの作品を模写し、勉強しました。

サロンで金賞

テオドール・ジェリコー《突撃する近衛猟騎兵士官》1812年

21歳のとき、サロンに出品した上の作品で金賞を受賞します。

ファイル:Gericault Theodore 1814 Verwundeter Kuerassier verlaesst das Schlachtfeld.jpg

テオドール・ジェリコー《戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官》1814年

23歳のとき、ナポレオンが失脚します。

ドラクロワとの出会い

ある日、ゲランの画塾に17歳のドラクロワが入ってきました。

2人は仲良くなり、よく一緒にルーヴル美術館に出かけたり、ジェリコーのアトリエで過ごしました。

24歳のとき、亡命するルイ16世を擁護しました。

お金持ちだから自費留学

25歳のとき、ローマ賞コンクールに参加するも次点、自費でローマへ留学しました。(ローマ賞受賞の景品がローマ留学)

そこでミケランジェロのダイナミックな人物表現に影響を受けます。

翌年の秋にはパリに帰国していました。

メデューズ号事件

そんなある日、フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が難破したという事件が飛び込んできました。

26歳のジェリコーは、メデューズ号事件の取材と習作を重ねました。

テオドール・ジェリコー《手足の研究》1818-1819年

近くの大病院から解剖された手足などを手に入れ、屋根の上で腐っていくのを観察していたそう…。

さらに、この大作に集中するためブロンドの髪を坊主にし、誘惑を断ち切って制作に臨みました。

テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》1819年

28歳のとき、サロンに出品し、金賞を受賞します。

政府から宗教画の初の依頼はドラクロワに譲りました。

ジェリコーは生涯で1枚も宗教画を描きませんでした。

29歳のとき、ロンドンへ行き、《メデューズ号の筏》を入場料を取り、公開し、大成功を収めます。

ブリュッセルに亡命中のダヴィッドを訪問します。

落馬が原因で…

ファイル:JeanLouisThéodoreGéricault001.jpg

テオドール・ジェリコー《エプソムの競馬》1821年

31歳のとき、2度目の落馬で脊椎に障害、以降外科手術を何度も受けます。

精神障害者の連作

テオドール・ジェリコー《ねたみ偏執病者》1820年

友人の精神科医ジョルジュの依頼で、精神障害者の肖像画の連作を制作します。

33歳のとき、ベッドで絵の構造を語り、友人の腕の中で亡くなります。

まとめ

ジェリコーは、ジャーナリズム的な絵を描いた、馬好きの画家