こんにちは!
今回は、ゴッホの模写作品を紹介します。
早速見ていきましょう!
目次
ゴッホの模写作品
浮世絵
大好きだった浮世絵を3点模写しています。
詳しくはこちら↓
雨の橋(広重を模して)
フィンセント・ファン・ゴッホ《雨の橋(広重を模して)》1887年
歌川広重《名所江戸百景・大はし あたけの夕立》1857年
梅の開花(広重を模して)
フィンセント・ファン・ゴッホ《梅の開花(広重を模して)》1887年
歌川広重《名所江戸百景・亀戸梅屋舗》1857年
花魁(渓斎英泉を模して)
フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁(渓斎英泉を模して)》1887年
『パリ・イリュストレ』1886年
ベルナール
友人のベルナールの絵を模写しています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《草地のブルターニュの女たち(ベルナールの模写)》1888年
エミール・ベルナール《草地のブルターニュの女たち》1888年
ゴーギャンが「黄色い家」に来た際に、ベルナールの上の絵を持ってきていました。
ゴッホは、ベルナールの作品が非常に独創的だと感じ、写しをとっておきたかったため模写したと、妹宛の手紙に書いています。
ミレー
ミレーは、ゴッホが一番尊敬していた画家で、ミレーの作品を20点以上模写しています。
ミレーのような絵が描きたかったゴッホは、弟テオへの手紙で「ミレーのリトグラフを送ってくれたらうれしい」と度々催促していました。
そして送ってもらったものを見て、絵の練習をしていました。(生身の人間をモデルとして雇うと高いため)
ちなみにゴッホの模写した絵の色が、元になったミレーの絵の色と異なるのは、ゴッホが白黒写真を見て模写していたからです。色はゴッホの想像で付けています。
晩鐘(ミレーを模して)
フィンセント・ファン・ゴッホ《晩鐘(ミレーを模して)》1880年
ジャン=フランソワ・ミレー《晩鐘》1857-1859年
ミレー『野良仕事』
フィンセント・ファン・ゴッホ《鎌で麦刈る人》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《大鎌で麦刈る人》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《麦を束ねる女》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《熊手を持つ農婦》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《麦を束ねる人》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《わらを刻む農婦》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《麦を叩く人》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《羊の毛を刈る人々》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
フィンセント・ファン・ゴッホ《木こり》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ
下の段右から2番目の絵です。
フィンセント・ファン・ゴッホ《糸を紡ぐ女》1889年
ミレー『野良仕事』のスケッチ、1852年
種まく人(ミレーを模して)
フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人(ミレーを模して)》1889年
フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人(ミレーを模して)》1890年
ジャン=フランソワ・ミレー《種をまく人》1850年 ボストン美術館
2人の掘る人
フィンセント・ファン・ゴッホ《2人の掘る人》1880年
フィンセント・ファン・ゴッホ《2人の掘る人》1889年
ジャン=フランソワ・ミレー《2人の掘る人》1850年
羊飼いの女
フィンセント・ファン・ゴッホ《羊飼いの女》1889年
ミレー「羊飼いの女」(ジャン=バティスト・ミレーによる木版画)
ミレー「1日の4つの時」
フィンセント・ファン・ゴッホ《朝、野良仕事へ》1890年
ミレー「1日の4つの時:野良仕事へ」
フィンセント・ファン・ゴッホ《昼、休息》1889-1890年
ミレー「1日の4つの時:昼寝」
フィンセント・ファン・ゴッホ《一日の終り(ミレーによる)》1889-1890年
ミレー「1日の4つの時:1日の終わり」
フィンセント・ファン・ゴッホ《夜なべ》1889年
ミレー「1日の4つの時:夜」
歩き始め
フィンセント・ファン・ゴッホ《歩き始め》1890年
ジャン=フランソワ・ミレー《歩き始め》1858年頃
鋤と馬鍬
フィンセント・ファン・ゴッホ《鋤と馬鍬》1890年
ジャン=フランソワ・ミレー《鋤と馬鍬》1862年
落穂拾い
《2人の農民の女性》1890年
ジャン=フランソワ・ミレー《落穂拾い》1857年
ドラクロワ
ゴッホはドラクロワの色の使い方が好きでした。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ピエタ》1890年頃
フィンセント・ファン・ゴッホ《ピエタ》1889年
ウジェーヌ・ドラクロワ《ピエタ》1850年
ゴッホが参照したのは、このオリジナル作品ではなく、白黒のリトグラフでした。
ゴッホにとって先人の作品を模写することは、伝統的な絵画修練法としてだけではなく、白黒の版画作品を、自分の考える色彩で解釈して描く試みでもありました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《善きサマリア人》1890年
ウジェーヌ・ドラクロワ 《善きサマリア人》1849年
レンブラント
ゴッホはオランダ出身ですが、そのオランダで最も尊敬されていた画家がレンブラントでした。
ゴッホもレンブラントを尊敬し、その描き方を手本としていました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《天使の半身像》1889年
レンブラント門下(アールト・デ・ヘルデルか)《大天使ラファエル》1655-1660年頃
フィンセント・ファン・ゴッホ《ラザロの復活》1890年
レンブラント《ラザロの復活》1632年頃
ドーミエ
ドーミエは、ゴッホお気に入りの画家でしたが、評価されるまでに時間がかかった画家でもありました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《飲んだくれ》1890年
ドーミエ《飲んだくれ》1862年
ドレ
ゴッホがなぜ模写したのかいまだによくわかっていない1枚です。
当時、入院中だったことと関係があるのでは?といわれています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《監獄の中庭(囚人の運動)(ドレを模して)》1890年
ドレ《監獄の中庭》1872年
ドモン=ブルトン
『ル・モンド・イリュストレ』誌に掲載されていたドモン=ブルトンの版画を気に入って模写しました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《赤ん坊を抱いた炉端の女》1889年
ドモン=ブルトン《赤ん坊を抱いた炉端の女》1889年
ヨルダーンス
今までの模写作品と比べて、相当出来が悪いといわれている作品です。
フィンセント・ファン・ゴッホ《牛》1890年
ヨルダーンス《牛》17世紀