風刺画で小遣い稼ぎ?モネの少年時代とカリカチュアを紹介!(モネの生涯1)

こんにちは!

今回は、モネの少年時代と描いていたカリカチュア(風刺画)を紹介します。

早速見ていきましょう!

モネの少年時代とカリカチュア

クロード・モネ《ベレー帽の自画像》1886年頃

裕福な伯母を頼って港町へ

パリで生まれ、モネは次男でした。

父親は食料品店を営んでいたといわれています。

5歳のとき、経済的な理由からノルマンディー地方のセーヌ川河口の港町ル・アーヴルに引っ越しました。

父親は、異父姉マリー=ジャンヌ(モネにとって伯母、後に登場するルカードル夫人)を頼り、彼女の夫ジャック・ルカードルが経営する雑貨店・食料品卸しを手伝いました。

ルイ=フィリップによる七月王政下で産業革命が進行するなか、マルセイユに次ぐフランス第2の商業港として発展していたこの港町で少年時代を過ごしました。

勉強より遊びたい!

11歳のとき、ル・アーヴルのコレージュ(公立中等学校)に入学しました。

モネは、学校を抜け出して、外で遊び回ることが大好きでした。

おこづかい稼ぎのカリカチュア


絵が上手かったモネは、15歳頃には、描いたカリカチュア(風刺画)を、地元の文具兼額縁屋の店先に置いてもらっていました。


人気があり、似顔絵を注文する人も出てくるほどでした。

最初は10フラン、のちに20フランで引き受けました。

早すぎる母の死

クロード・モネ《ディエップの昔の「ル・ポレ」地区》1856–57年

16歳のとき、母親が亡くなりました。

以降、伯母のルカードル夫人が、モネを引き取り面倒をみました。

モネは学業を放棄してしまい、夏にはコレージュを退学しました。

モネにダヴィッドの弟子だった地元の画家オシャールにデッサンを学ばせたのも伯母でした。

カリカチュアが評判に


17歳のとき、モネのカリカチュアが評判になりました。

そしてこのカリカチュアがとある画家の目に留まり、モネの人生がガラリと変わります。

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