こんにちは!
今回は、ギリシャ神話に登場するマルシュアスを解説します。
早速見ていきましょう!
マルシュアス
ペルジーノ《アポロンとマルシュアス》1475-1500年
マルシュアスは、ギリシャ神話でアポロンと音楽を競い酷い目にあったサテュロスです。
イケイケ太陽神アポロン
太陽神アポロンは、理想の青年像を体現しており、この絵でも美しく描かれています。
アポロンはまた理性と文明を代表し、弓矢、詩と音楽、医術、家畜を司る神でもあります。
絵画では、太陽光熱になぞらえた矢筒を背負い、四頭立て馬車で天空を駆け抜け、また芸術的靈感を与える女神ムーサ(ミューズ)らを従えて登場することが多いです。
本作では牧羊杖を持ち、足元に弓と矢筒、木の切り株に竪琴をかけて、立っています。
不運なマルシュアス
アポロンの冷ややかな視線の先には、低い岩に腰かけて一心に演奏するマルシュアスがいます。
本作では普通の人間の姿で表現されていますが、通常は山羊の脚を持ち、牧神パンの子孫とされています。
マルシュアスが楽器を演奏していることは、彼のの没我の表情からわかります。
しかし一方で、アポロンの存在がその音楽を否定しています。
どうしてでしょうか?
呪われた笛
縦笛は学芸の女神ミネルヴァ(アテナ)が作りました。
彼女がそれを吹くと、頬の膨らんだ顔がおかしいと他の神々に笑われたため、怒り、拾った者に災いが降りかかるように呪いをかけて投げ捨てました。
何も知らずにマルシュアスがその呪われた笛を拾いました。
神がかった演奏
彼は酒と酩酊の神デュオニソス(バッカス)の従者でもあったから、もとより音楽が好きでした。
さっそく吹いてみたところ、あまりの美しさに森の住人たち、他のサテュロスやニンフ、鳥や動物が彼の周りに集まり、聴き惚れました。
これほどすばらしい演奏は、あの竪琴の名手アポロンでさえかなわないだろうと、彼らはマルシュアスを褒めたてました。
神々の嫉妬がどれほど恐ろしいものか、知らなかったのです。
出来レースな演奏試合
コルネリス・ファン・プーレンブルフ《アポロンとマルシュアスの音楽試合》1630年
そしてこの噂はアポロンの耳に入り、彼はマルシュアスに演奏試合を申し出ました。
勝者は敗者に何をしてもよい、との条件付きで。
しかも判定者はアポロンの従者たるムーサたちだというのだから、結果は誰の目にも明らかでした。
サテュロス族は神々の中ではずっと下位なので、嫌とは言えません…。
理性VS情感
ジュゼッペ・カデス《アポロンとマルシュアス(ラファエロのヴァチカン宮殿「署名の間」の天井画の模写)》18世紀後半
マルシュアスの演奏を聴いているアポロンが少しも感心していないのが、絵からもわかります。
というのもアポロンは理性の権化であり、マルシェアスが仕えるデュオニソスは恍惚と情感の神です。
両者は両極端にあります。
それは楽器にもあらわれ、アポロンが奏でる弦楽器は精神を高め、マルシュアスが吹く管楽器は情念に作用するとされました。
おまけに縦笛は男性器の象徴でもあります。
知は情を侮蔑し、道徳は酩酊を罰せねばならないとの考えがありました。
笛と竪琴の演奏が終わると、アポロンはムーサの判定すら待たずに自らの勝ちを宣言しました。
他のバージョンはもっと酷い
この物語にはいくつかのバージョンがありますが、どれもアポロンはもっと卑怯でした。
彼は堅琴を逆さにして演奏したり、歌をうたったりし、マルシュアスにも同じことを要求しました。
縦笛は逆さにしたら音は出ないし、笛を吹きながら歌をうたうことはできません。
アポロンは高らかに勝利宣言しました。
残虐な懲罰
ピーテル・パウル・ルーベンス《縛られたマルシュアス》
負けたマルシュアスは松の木に逆さに吊るされ、生きたまま生皮を剥がれて、苦悶のうちに死にました。
ホセ・デ・リベーラ《アポロンとマルシュアス》1637年
マルシュアスの皮剥ぎを主題にした絵も、バロック時代によく描かれました。
ドメニキーノとその工房《マルシャスの皮剥ぎの刑》1616-1618年
マルシュアスの死を悼んだ森の住人たちが夥しい涙を流したため、やがてそれは川となり、マルシュアス川と呼ばれるようになって、どの川よりも美しいせせらぎの音を響かせたとか(涙ではなくマルシュアスの血という説も)。
なんて理不尽な話なんだ…神様なのにヒドイ…!と思ってしまいますが、これは神が自然災害や、抗えない運命を表しているからです。