こんにちは!
今回は、ダイダロスとイカロスについてです。
早速見ていきましょう!
ダイダロスとイカロス
シャルル・ポール・ランドン《ダイダロスとイカロス》1779年
ダイダロスの過ち
名工として天才と謳われたダイダロスは、才能ある弟子で甥のタロスに嫉妬し、彼を岸壁から突き落としました。
タロスは落下してゆくとき、女神アテナによってヤマウズラへと変身しました。
ヤマウズラが高い場所を飛ばないのは、突き落とされた時の恐怖の記憶からだとか…。
ミノタウロスの迷宮をつくった
エドワード・バーン=ジョーンズ《タイルデザイン-迷宮のテセウスとミノタウロス》1861年
その後ダイダロスは追放され、クレタ島に逃げ、ミノス王の保護の下、様々な発明品を作りました。
ミノス王の子ミノタウロスを封じるための迷宮なども造りました。
しかし、王女アリアドネに、糸玉を用いて英雄テセウスが迷宮を脱出する方法を教えたことからミノス王の怒りを買い、もう迷宮の秘密を漏らすことのないように、高い塔に息子イカロスと共に幽閉されてしまいます。
脱出計画
アンソニー・ヴァン・ダイク《ダイダロスとイカロス》1620年
どうにかしてここから脱出しようと鳥の飛翔を研究し続けました。
シャルル・ル・ブラン《ダイダロスとイカロス》1642-1646年
そして、羽根を集めて中心部を紐で結び、基底部を蜜蝋で固めてつないで湾曲させて巨大な翼を完成させました。
アンドレア・サッキ《ダイダロスとイカロス》1645頃
イカロスの墜落
ジョゼフ=マリー・ヴィアン《ダイダロスとイカロス(イカロスに翼を取り付けるダイダロス)》18世紀
彼はそれをイカロスに装着し、海水に濡れると羽根が重くなるので低く飛びすぎないように、太陽の熱で蝋が溶けてしまうので高すぎないように、必ず中ほど高さで飛ぶよう忠告しました。
ハンス・ボル《イカロスの墜落》16世紀
こうして2人は空を飛び、地上では釣り竿を持つ漁師、杖を持つ羊飼い、鋤を持つ農夫が彼らを見上げ、空を飛べるのは神しかいないはずなのに、と仰天していました。
カルロ・サラチェーニ《イカロスの墜落》1606-1607年
伝ピーテル・ブリューゲル《イカロスの墜落》1555-1558年頃
メリー・ジョゼフ・ブロンデル《イカロスの墜落》1796年
イカロスは始めこそ言いつけどおり父のすぐ後ろを飛んでいましたが、自分の力を過信し、太陽にも到達できるという傲慢さから太陽神ヘリオス(アポロン)に向かって飛んでいきました。
ジェイコブ・ピーター・ゴーウィ《イカロスの墜落》1636-1638年
メリー=ジョゼフ・ブロンデル《太陽またはイーカロスの墜落》1891年
その結果、太陽の熱での蠟が溶け、真っ逆さまに海へ墜落し溺死しました(この場所は後に彼の名にちなんで「イカリア海」と呼ばれるように)。
ハーバート・ジェームズ・ドレイパー《イカロスへの哀悼》1898年
ダイダロスが息子を埋葬しながら非嘆にくれていると、そばでヤマウズラ(シャコ)が嘲るようにやかましくさえずり、ダイダロスの不幸を喜びました。
その後ダイダロスはシチリア島まで飛び、カミーコスのコーカロス王の元に身を寄せました。
謎解きクイズ
ミノス王は逃げたダイダロスを捕まえるためあるクイズを思いつきました。
それは「糸を巻き貝の中に通すにはどうしたらいいか」というものでした。
これを各地で訪ねてまわり、ついにカミーコスにたどり着いたとき、ミノスはコーカロス王に同じ質問をしました。
コーカロスは、ダイダロスなら良い方法を思いつくのではないかと、ダイダロスを連れてきました。
ダイダロスは、蟻に糸をくくりつけ、蜂蜜で誘導し、見事巻き貝の中に糸を通すことに成功しました。
これでミノスはコーカロスの連れてきた男がダイダロスである事を知り、引き渡しを要求しました。
しかし、ダイダロスを渡したくなかったコーカロスは、ミノスに先に風呂に入ることを勧めました。
ミノスが風呂に入っている間、コーカロスの娘たちが彼を殺しました。
異説では、ダイダロスが熱湯をかけて殺したとされています。
イカロスという象徴
フレデリック・レイトン《ダイダロスとイカロス》1869年
このように神話では、甥を墜落死させた因果応報か、愛する息子をも墜落によって失う父親ダイダロスを中心に語られています。
しかし、人々の胸に深く刻まれたのは、そんな罪深いダイダロスではなく、まして彼に妬まれ殺されたれ哀れな甥でもなく、探究心にかられ、どこまでも高みを目指して命を落としたイカロスの方でした。
マルク・シャガール《イカロスの墜落》1974-1977年
数多くの絵画、歌、詩にイカロスは登場しています。
オディロン・ルドン《イカロス》1890年頃
自然や神に逆らおうとした傲慢さが自らの破滅を導くという戒めとして、鳥のように空を飛びたいという人間の永遠の憧れとして、勇気や知識欲への讃歌として、 若さの理想として、若さの愚かしさとして、高い理想の挫折として、実力を伴わない空想として、落下という悪夢として、禁を破って進歩を目指す暗喩として…。