こんにちは!
今回は、カラヴァッジョの《エマオの晩餐》についてです。
早速見ていきましょう!
カラヴァッジョの2つの「エマオの晩餐」
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1601年
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1606年
この絵は、エマオでの食卓シーンで、奇跡を眼前にした驚きの瞬間が描かれています。
エマオの晩餐とは?
十字架による処刑の3日後、マグダラのマリアたちが香油を持って墓へ行くと、石が動かされていました。
そこで中へ入ってみると、イエスの遺骸が消えていました。
呆然とする彼女たちの前に天使があらわれ、「3日後に復活する、との御言葉を忘れたか」と言いました。
マリアたちは仲間のところへ駆けもどり、これを伝えました。
同じ日の夕方、この不思議について、イエスの弟子クレオパともう1人が議論しながらエマオへの道をたどっていると、いつのまにか見知らぬ人が同行していました。
エマオに着き、3人で食卓を囲みます。
その人がパンを割いてクレオパたちに分けた途端、彼らの目が開き、 彼こそ復活したイエスであることがわかりました。
そしてわかった瞬間、イエスは消えてしまいました。
派手な第1バージョン
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1601年
カラヴァッジョは《エマオの晩餐》を2枚残していますが、最初に描かれたこちらのバージョンは、彼らしい派手さで表現しています。
イエスの顔はふくよかで、一般的なイメージとは異なる描き方をしています。
光はほぼ正面から当たり、壁に影が差しています。
食事は非常に贅沢で、ワイン、チキンの丸焼き、山盛りのフルーツなど、まるで裕福な人の夕食のような豪華さ…。
クレオパたちの服装を見てもわかるように、この状況には明らかに不自然なため、カラヴァッジョが自らの技量を見せつけるために描いたのでしょう。
手前の果物籠が落ちそうになっているのも、信仰の不安定さを表しているのかもしれません。
イエスだと気づいたクレオパが両腕を大きく広げ、驚いています。
クレオパは、巡礼者のホタテ貝の貝殻を身に着けています。
彼の左手や左端の男の肘が、画面から飛び出してくるかのように描かれています。
もう1人の弟子(聖書に名前の記載がないため、後ろ姿で顔がわからないように描かれる)も、驚きからか、椅子の肘掛けを握り、今にも立ち上がりそうになっています。
残るこの男性は誰かというと給仕です。
闇に溶け込む第2バージョン
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1606年
第1バージョンと比べると、人物の身振りははるかに抑制されており、演劇性よりも存在感を重視していることがわかります。
このバージョンは、34歳のカラヴァッジョが決闘で相手を殺してしまった後、潜伏先で逃亡資金確保のために描いた作品です。
そんなカラヴァッジョの深層心理が現れているかのように、第1バージョンの派手さはどこへやら、画面は漆黒の闇で覆われています。
カラヴァッジョに影響を受けたフェルメール?
《エマオの晩餐》1937年
1937年、高名な美術史家ブレディウス博士がこう絶讃して、本作にフェルメール真筆のお墨付きを与えました。
「『エマオの晩餐』に見られるカラヴァッジョの影響」なる論文まで出ました。
本作が、カラヴァッジョの第1バージョンと画面構成が似ているからです。
生涯に謎の多いフェルメールでしたが、これで若いころイタリアで修行していた可能性が強くなった!、とも言われ…。
しかし、後にこの絵は贋作師ハン・ファン・メーヘレンによるものだと判明し、大騒動を巻き起こすことに…。