マンテーニャを超解説!お金に苦労するとお金に執着する?

こんにちは!

今回は、マンテーニャについてです。

早速見ていきましょう!

アンドレア・マンテーニャ(1431-1506年)

アンドレア・マンテーニャ《キリストの神殿奉献》1465年頃

アンドレア・マンテーニャは、イタリア、ルネサンスの画家です。

上の絵の右端が画家の自画像、左端が画家の妻だといわれています。

お金にうるさくなった理由

イタリア北部の小さな村イーゾラ・デイ・カルトゥーロで生まれました。

10歳のとき、画家スクァルチョーネの養子になり、パドヴァに住み、彼の工房で働きました。

マンテーニャは、スクァルチョーネが集めた古代彫刻の石膏模型を見て勉強しました。

スクァルチョーネは、弟子への給料払いが悪く、マンテーニャも不当な扱いを受けていました。

大変な思いをしたからか、マンテーニャは神経質で癇癪もちで気難しい性格になり、トラブルが絶えませんでした。

17歳のとき、裁判を起こして勝利し、晴れて独立しました。

工房の稼ぎ頭だったマンテーニャのもとには、次々と注文が来ました。

ベテランの画家に混じって、パドヴァのエレミターニ聖堂のオヴェターリ礼拝堂の壁画を描きました。

結婚

22歳のとき、ヴェネツィアの画家ヤコポ・ベリーニの娘ニコロージアと結婚しました。

ヤコポとスクァルチョーネは、もともとライバル関係にありました。

そうしたなか、ヤコポが多額の持参金を積んで、マンテーニャを自分の娘婿に迎えたことによって、スクァルチョーネとマンテーニャの関係はさらに険悪になったそう…。

アンドレア・マンテーニャ《ゲッセマネの園の苦悩》1455-1456年頃

宮廷画家として招かれるも…

アンドレア・マンテーニャ《サン・ゼーノ祭壇画》1457-1460年

25歳のとき、ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の祭壇画を制作しました。

アンドレア・マンテーニャ《サン・ゼーノ祭壇画(部分)》1457-1460年

マンテーニャの才能を聞きつけたマントヴァのルドヴィコ・ゴンザーガ2世宮廷画家に招きましたが、マンテーニャは「今はこの祭壇画で忙しいから描き終わったら」と言いました。

アンドレア・マンテーニャ《磔刑》1457-1460年

しかし2年経っても来ないマンテーニャにしびれを切らしたルドヴィコが「高給、高級ホテルの豪華ディナーとワイン付き、引越し費用負担」という超VIP待遇でなんとか来させようとするも「まだ描き終わらなくて…」。

さらに2年後、29歳でやっとマントヴァへ行き、宮廷画家になりました。

お城の装飾

アンドレア・マンテーニャ《カーメラ・デッリ・スポージ(夫婦の間)の壁画》1465-1474年

アンドレア・マンテーニャ《カーメラ・デッリ・スポージ(夫婦の間)の天井画》1465-1474年

34歳のとき、ルドヴィコ2世のために、ドゥカーレ宮殿の室内の壁画を描きました。

47歳のとき、ルドヴィコ2世がペストで亡くなりました。

マンテーニャはルドヴィコ2世が亡くなる直前に、ボーナスの催促をしています…。

アンドレア・マンテーニャ《聖セバスティアヌス》1480年頃

その後、ルドヴィコ2世の息子フェデリコ、孫のフランチェスコ2世が後を継ぎました。

アンドレア・マンテーニャ《死せるキリスト》1483年

上の絵は、画家の死後アトリエで見つかった作品でした。

57歳のとき、画家の評判を聞いた教皇インノケンティウス8世がマンテーニャをローマに呼び寄せ、礼拝堂の装飾を依頼しました。

イザベラ・デステの時代

2年後、59歳のとき、マントヴァに帰ると、フランチェスコの妻イザベラ・デステが宮廷内を全部仕切っていました。

アンドレア・マンテーニャ《パルナッソス》1497年

アンドレア・マンテーニャ《美徳の勝利》1502年

64歳のとき、イザベラ・デステの書斎のために上の2点を制作しました。

《美徳の勝利》は、武装したアテナが快楽の宴をくりひろげている悪徳を攻撃し、追い払おうとしている場面が描かれています。

このように異教の神話を道徳の寓意と見ることで、ルネサンスの画家はギリシャ神話を描けるようになりました。

芸術愛好家だったイザベラの趣味を反映して、彼女をアテナにたとえることによって、彼女を讃えています。

75歳のとき、制作していた壁画の完成前に亡くなりました。

亡くなる直前、金策のために大切にしていた古代ローマ時代の胸像をイザベラ・デステに売ることを決めると、イザベラは死の床にいるマンテーニャに容赦無く値段交渉の手紙を送りつけました。

亡くなる6週間前に言い値で売ることが出来ましたが、胸像を手放すときには目に涙を溜めていたといわれています。

名誉ある葬儀が行われ、サン・アンドレーア教会に埋葬されました。

まとめ

マンテーニャは、考古学マニアで、極端な遠近法で描いた画家