こんにちは!
今回は、印象派が何を目指していたのかについてです。
早速見ていきましょう!
印象派が目指したのはなに?
アルフレッド・シスレー《洪水と小舟》1876年
純粋に絵を楽しんでほしい
印象派の画家たちは、読み解きのような知的作業によって作品を解釈されるのを嫌いました。
絵を文学や歴史や神話、主題から引きし、独立させ、純粋に絵として楽しんでほしいと思いました。
今自分たちが見ている陽光のもとの自然、今自分たちが生きている近代社会、今自分たちと同じ空気を吸っている人々や空気感をそのまま描きたい、誰が見てもすぐわかる絵を描きたいと思いました。
しかもそのとき、道徳的だったり社会的な意味を付与したり、何かを主張したりすることも避けたいと考えました。
何が描かれているかということより、どのように描かれているかのほうが大事になり、絵は読むのではなくてただ感じればいいという考えが広まるターニングポイントでした。
ベラスケスという天才
ディエゴ・ベラスケス《織女たち(アラクネの寓意)》1655-1660年
いかに光を捉えるか、いかにタッチの個性を出すかを考えたとき、なんと200年も前にベラスケスが印象派的描写を行なっていたことを知り驚きました。
上の絵の、まわる糸車や衣装の表現における技巧を見れば、印象派の画家たちがベラスケスを礼讃した理由がわかります。
さらにベラスケスの絵は、読む楽しみも備えています。
印象派の後、キュビスムや抽象やシュルレアリスムなどが続きますが、どれも大きな潮流を形成するには至りませんでした。
現代まで変わらぬ人気を誇る印象派は、やっぱり別格です。
家に飾りたいと思える絵
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《十字架降架》1443年以前
血みどろな宗教画や、
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル《ユピテルとテティス》1811年
わけのわからない神話画、
ジャック・ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》1784年
歴史や意味のぎっしり詰まった絵画たち。
これらは画面の色も暗く、重厚な、悪く言えば重々しい絵ばかりです。
クロード・モネ《ひなげし》1873年
それに比べ、印象派の作品は格段に画面が明るい上、考えることも知識も要求されない気楽さがあり、自分の部屋に飾ってもいいかなと思える絵ばかりです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-1506年
《モナ・リザ》はどうでしょうか?
ミステリアスで引き込まれる絵ではありますが、じゃあ家に飾りたいかといわれると違うかと思います。
これは一方で、印象派の弱点ともいえます。
印象派嫌いは、デッサンの拙さを必ず挙げます。
また描法にこだわって主題が捨てられたため、絵から物語が、ひいては精神性までも消えたことも、長く見て飽きる一因だ、見ごたえがないと言います。
物語や描かれている人物への興味は、人々にとってそれほど大きいといえます。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《舟遊びをする人々の昼食》1880-1881年
しかしそうはいっても、印象の画家たちは彼らの時代を描きました。
そこに何ら意味も主題も込めなかったにせよ、画面には、どこか遠くの世界ではなく、「今」が描かれていました。
これが面白くないわけがありません。