アクション映画風に描いた画家ティントレットを超解説!

こんにちは!

今回は、ティントレットについてです。

早速見ていきましょう!

ティントレット(1518-1594年)

ティントレット《自画像》1588年頃

ティントレットは、イタリアの画家です。

工房をすぐクビになる

ヴェネツィアの染物屋(ティントーレ)の息子として生まれました。

本名はヤコポ・ロブスティで、ティントレット(染物屋の息子)はあだ名です。

10代で、巨匠ティツィアーノの工房に弟子入りし、一流画家を目指すはずが、数日で追い出されてしまいました。

その理由は、40代半ばのティツィアーノは、ティントレットが自分を越える才能の持ち主であることに嫉妬したとも、単純に生意気だったからとも、ティツィアーノから画家としての一人前だと署名してもらったからだともいわれています。

21歳のとき、親方として独立し、工房を持ちました。

劇的なポーズと色使い

ティントレット《プロヴァンスの奴隷を救う聖マルコ》1547-1548年

28歳のとき、サンマルコ同信会館のため、上の絵を制作しました。

この絵は、キリスト教が迫害されていた時代に、キリスト教徒の奴隷が礼拝をしようとしたところ、主人の怒りをかっていまにも処刑されそうなところに、聖マルコが空から奴隷を救うべく降り立つという場面が描かれています。

「短縮法」で、人物の顔を極端に圧縮したり、体の動きをわざとねじらせるように描くことで、鑑賞者が、その奇跡の場面に実際に立ち会っているような描き方をしました。

所狭しと描かれた人々は今にも動き出しそうだったり、鮮やかな色と強いコントラストで見る人を驚かせ、評判となりました。

ティントレットは、ミケランジェロの素描と、ティツィアーノの色彩を目標にしていました。

ティツィアーノに対抗して…

ティントレット《スザンナの水浴》1555-1556年

31歳のとき、聖三位一体同信会館のため「創世記」の連作を制作しました。

これは、ティツィアーノが神話をベースに描いた裸体連作(ポエジア)への対抗作でした。

ファウスティーナ・デイ・ヴェスコヴィと結婚し、彼女のおかげで幸せな家庭と仕事に集中できる環境を手に入れました。

ティントレット《竜を退治する聖ゲオルギウス》1555年頃

この頃には、ヴェロネーゼと並んで、ヴェネツィアを代表する画家のひとりとなっていました。

賛否両論

ティントレット《聖マルコの遺体を焼却から救うアレクサンドリアの信者たち》1562-1566年

40代前半、聖マルコ同信会館から壁画の注文を受けました。

ティントレットの独創的な絵画はますますエスカレートし、人気も出ましたが、批評家には「美しくない」と言われたりと賛否両論ありました。

ティントレットの描く複雑なポーズの人体は、人形にライトを当てて描いていました。

ずる賢い性格

45歳のとき、サン・ロクス同信会館が、新築会館の内部装飾を計画し、コンペを行うことになりました。

ヴェネツィア中の画家がコンペ当日にデッサンを持参して集まりました。

そして、会場の扉を開けると…なんと天井画がすでにありました。

ティントレット《聖ロクスの栄光》1564年

なんとティントレットが昨日のうちに、描いた絵を天井にはめていたのです。

天井画を同信会に寄付するという悪どいやり方で、46歳のとき、この同信会の正会員になり、後の40点近い注文を全て手にし、内部装飾を全面的に手がけました。

ティントレットの工房には、息子のドメニコと娘のマリエッタも画家として働いていました。

マリエッタには少年の扮装をさせていたそうで、ドメニコよりも有能だったそう。

52歳のとき、ドゥカーレ宮殿で、ヴェネツィア軍のトルコ戦の勝利を記念する絵のコンペがありました。

ティントレットは、タダで1年で完成させると提案し、注文をもらことはできましたが、自分で言った通り代金はもらえず、後から人を介して代金請求しました…。

56歳のとき、ティツィアーノがペストで亡くなり、《荊冠のキリスト》を遺贈されました。

ティントレット《天の川の起源》1575年頃

愛娘の死

ティントレット《天国》1588-1594年

69歳のとき、ドゥカーレ宮殿のため《天国》に着手しました。

71歳のとき、愛娘マリエッタが34歳で亡くなり、仕事をする気力が失せ、工房を息子に任せました。

ティントレット《最後の晩餐》1594年

73歳のとき、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂のための壁画《最後の晩餐》他2点を制作しました。

上の絵では、場面をオイルランプの光に照らされた夜景として設定し、テーブルを対角線に沿って置くことで、これまでにない動きとドラマをこの主題に与えています。(よくある「最後の晩餐」の絵は、明るく、左右対称の構図で描かれていた)

さらに、画面右下に同時代風の給仕を描くことで、現実の場面のような臨場感を与え、感情移入をうながしました。

ティントレット《悔悛するマグダラのマリア》

そして、74歳で亡くなりました。

まとめ

ティントレットは、激しい筆使いと色彩、動的な人物描写で劇的な場面を描いた画家