こんにちは!
今回は、やりたいことと、求められていることが別すぎて苦悩した画家ゲインズバラについてです。
早速見ていきましょう!
トマス・ゲインズバラ(1727-1788年)
トマス・ゲインズバラ《自画像》1759年頃
トマス・ゲインズバラは、イギリスの画家です。
ロンドン北東のサフォーク地方のサドベリの、羊毛業者の家に生まれます。
9人兄弟の末っ子で、母親はアマチュア画家でした。
父親の事業が失敗し、一家は貧乏に…。
13歳のとき、ロンドンの画家の弟子になり、18歳で画家として独り立ちします。
当初は好きな風景画を描いていましたが、需要がなく、お金のために肖像画を描くようになります。
そしてもっと言うと、ゲインズバラは絵より音楽に興味がありました。
19歳で、マーガレットと結婚。
21歳のとき、父親が亡くなり、故郷へ戻ります。
アンドリューズ夫婦
トマス・ゲインズバラ《アンドリューズ夫婦》1750年頃
お金のために肖像画を描いているけれど、本当は風景画を描きたいゲインズバラは、
肖像画だけど風景画な絵を描きました。
それがこの作品です。
この絵、謎が多くてとても面白い作品です!詳細はこちら↓
ちなみにディズニーシーにこの絵のパロディが置いてあります。(笑)
ブロッコリーを森に見立てて描いた?
トマス・ゲインズバラ《ヘニッジ・ロイドとその妹》1750年頃
ゲインズバラは、理想の風景を描くために、ブロッコリーや鏡、石炭をそれぞれ森や湖、岩に見立てて風景のミニチュア模型を作り、それをもとに描きました。
娘を溺愛
トマス・ゲインズバラ《画家の娘、蝶を追うマーガレットとメアリー》1756年
娘のメアリーとマーガレットが生まれ、溺愛します。
この絵、娘たちの絵なのですが、子供が蝶を追いかけているわりに、表情が悲しそうだと思いません?
子供が蝶を追いかける場面って、ニコニコ顔できゃっきゃっしながら追いかけていそうなのに。
それはこの絵が「無垢な心のはかなさ」を表しているからです。
蝶は純粋さの象徴で、手を伸ばしているのは妹のマーガレットです。
蝶が留まっているのはアザミです。とげのある花です。
蝶を捕ることに失敗したら、手が傷つくかもしれません。
2人が繋いでいる手を見ると、メアリーの手の方が上にあります。
衝動的に蝶を捕まえようとしているマーガレットを、姉のメアリーが抑制しています。
肖像画が大人気
25歳のとき、サフィーク地方のイプスウィッチに住み、肖像画で生計を立てます。
32歳のとき、上流階級の人たちの保養地であり、風呂の語源にもなったバースに移ります。
裕福なパトロンに恵まれ、生活が安定しました。
ゲインズバラは、独創的かつ新しい作品を残したいと考え、モデルの隣にキャンバスを並べて、近くで顔を見ながら描くことで、そっくりに描こうとしました。
しかし、モデルと画家の顔とが近すぎて、双方落ち着かなかったため、筆の柄を伸ばしてそのぶん顔を遠ざけることにしたところ、最後には筆の長さが1.8メートルほどにもなったとか…。
ヴァン・ダイク風に
トマス・ゲインズバラ《青衣の少年》1770年
上流階級の人々と仲良くなったお陰で、ヴァン・ダイクの絵など、彼らが所有しているコレクションを見ることができました。
この作品は、ヴァン・ダイクの作品に影響されて描いた絵です。
この絵のカラーイメージが、「男子は青」「女子はピンク」という社会通念を作ったといわれています。
詳細はこちら↓
レノルズと対立
1768年、イギリスでロイヤルアカデミー美術学校が創設されます。
その創設メンバーに選ばれましたが、アカデミー初代会長のレノルズと対立します。
裕福
トマス・ゲインズバラ《グレアム夫人》1757-1792年
47歳のとき、ロンドンに移ります。
この頃のゲインズバラは非常に裕福でした。
54歳のとき、王室に気に入られ、ウィンザーで制作します。
トマス・ゲインズバラ《犬と水差しを持つ田舎娘》1785年
この頃のゲインズバラの作品では、上の絵のようなファンシー・ピクチャーが人気でした。
ファンシー・ピクチャーとは、田舎の子供などを描いた、同情を誘う空想の絵のことです。
58歳のとき、首に悪性腫瘍が見つかり、61歳で亡くなります。
ゲインズバラは死の間際、レノルズを呼び、2人は和解しました。
まとめ
・ゲインズバラは肖像画が有名 ・肖像画より風景画を描きたかった ・絵より音楽に興味があった