こんにちは!
今回は、実際にあった事件を元に描いたドラクロワの《キオス島の虐殺》を解説します。
早速見ていきましょう!
キオス島の虐殺
ウジェーヌ・ドラクロワ《キオス島の虐殺》1824年
絵画の虐殺だ!
ドラクロワが26歳のときに描いた作品です。
当時の美術界では、美しいものを描くというのが常識だったなか、ジャーナリスト的なリアルな絵を描き、物議を醸しました。
前回のサロンで出品した作品に対しては好意的だった画家グロからも、「絵画の虐殺だ!」と言われたように、保守的な画家たちからの評判はよくありませんでした。
しかし、作品は国家買い上げになり、大物新人として一目置かれるようになります。
実際に起こった事件
1822年、当時オスマン帝国統治下のギリシアのキオス島で、数万人のギリシア人たちがオスマン帝国軍によって虐殺され、残りの人々は奴隷となった事件がありました。
1820年代は人物写真もなく、活字による報道だけだったため、絵画によるイメージ手法によって、ギリシア独立についてヨーロッパ市民の注目を集めることができました。
この絵含め、ヨーロッパ諸国によるギリシア独立支援への世論により、フランスやイギリスがギリシア独立勢力の支援をし、
1830年ギリシアのトルコからの完全独立が合意、1832年にギリシアが完全独立国として承認されました。
強い眼差し
ウジェーヌ・ドラクロワ《墓場の少女》1824年
この絵は、《キオス島の虐殺》の習作として描かれた作品です。
空を見上げる少女の大きな瞳と眼差しから、孤独感や力強さを感じます。
襲いくる不安を見つめているのか、それともこの状況を打開する道が開けたのか…
肩からずり落ちている衣服と、背景の墓場の色合いが似ており、作品全体から、疲労や不安、悲哀が伝わってきます。