レンピッカが描いた夫の肖像画に描かれていないものは…?2人の関係を解説!

こんにちは!

今回は、レンピッカと最初の夫タデウシュのエピソードを紹介します。

早速見ていきましょう!

美男と美女

一目惚れからのコネで結婚

レンピッカ15歳のとき、オペラ観劇で、プレイボーイとして有名だったタデウシュ・ウェンピツキというポーランド人弁護士に一目惚れします。

18歳のとき、叔父のコネを利用して、彼と結婚しました。

結婚式は、花嫁のヴェールが教会の祭壇から入り口にまで達するような、豪華で派手なものでした。

夫はただの「額縁」

レンピッカとの結婚は持参金が目当てだったとも言われていますが、彼が当時金銭的に困窮していた形跡はありません。

一方で当時のポーランド人の社交界の女性の間では、女性経験の豊富な美男子を獲らえて結婚することが優れた女の証でした。

亭主は価値ある女である自分を美しい芸術作品として引き立たせるためのただの「額縁」、浮気は女のウサ晴らし、などという女性主導の自由奔放な文化がありました。

激しい性格でプライドが高く競争心の強いレンピッカの方が、彼に群がる他の女たちを押しのけて、金銭で釣るなども含めて、あの手この手で彼を獲得することに躍起になったというのが真相のよう…。

夫、銃殺の危機

19歳のとき、ロシア革命が起き、夫のタデウシュは12月のある真夜中に秘密警察組織チェキストによって逮捕されてしまいます。

彼には、銃殺の危機が迫っていましたが、どこに連れ去られたのかすらわかりませんでした。

彼女は刑務所を捜し回り、数週間後、スウェーデン領事の好意以上の協力を得て(通常ではありえない)、夫を釈放してもらいました。

それから夫婦でデンマークのコペンハーゲン、イギリスのロンドンを転々とし、最後は、多くの白系ロシア人が逃げのびたフランスのパリに落ち着きました。

タデウシュは、拘留されたこと、そしてレンピッカが自分を解放させるために支払った金額を知ったことから、すっかり人が変わってしまい、陰鬱で気難しい性格になってしまいました。

貧乏は無理

フランスでは弁護士活動のできない夫は、他の職を積極的に探す気もなく、

さらに本人の技能や体力にとっても、レンピッカのプライドにとっても、肉体労働なんかできそうにありませんでした。

仕事をする気のないタデウシュは部屋から出ることも稀で、なにかにつけてレンピッカに文句を言い、自分は推理小説に読む耽っていました。

ロシア革命が失敗に終わりそうもなく、当面の間だけと考えて、持ち出した外貨や宝石も底を突きかけ…。

そんな中、21歳のとき、娘キゼットが生まれ、レンピッカは華やかな生活を取り戻すべく画家になります。

両性愛者

狂騒の20年代、肖像画家として大成功したレンピッカは、パリでボヘミアン的な人生を送っていました。

彼女の美貌、さらに彼女が両性愛者であることはよく知られていました。

男性とも女性とも関係を持つことは、当時においてはスキャンダラスで、騒がれました。

当時の雰囲気としては、世界中のレズビアンがパリに集まってくるほど、レズビアン文化が発展していて、レンピッカとしては居心地が良かったようです。

1920年代、彼女は、ヴァイオレット・トレフーシス、ヴィタ・サックヴィル=ウェスト、コレットら、文壇・画壇のサークルに属したレズビアンおよび両性愛者たちと親しく交際しました。

さらにシャンソン歌手のシュジー・ソリドールと親密になり、後には彼女の肖像画も描いています。

離婚

《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》1928年

自由奔放なレンピッカと、陰鬱で嫉妬深いタデウシュの生活がうまくいくはずがありませんでした。

タデウシュは働かないくせに文句ばかりレンピッカに言い、嫉妬し、暴力をふるっていました。

そしてある日、歯医者でイレーナ・スピースという裕福な家の女性と出会い、不倫な関係に陥ります。

レンピッカは、自分に関わりのある人間を、一人残らず意のままにしたいという性格のため、夫が別の女の元へ走ったということが許せませんでした。

夫はレンピッカとの生活に疲れ、1927年に妻を捨て、翌1928年、正式に離婚しました。

上の肖像画は、離婚する少し前に描き始めた絵で、完成間際に離婚が成立しました。

結婚指輪をしているはずの左手だけを未完にしています。

彼へのわずかに残った未練もしくは、恨みなのかもしれません。