こんにちは!
今回は、マネ《エミール・ゾラの肖像》についてです。
早速見ていきましょう!
エミール・ゾラの肖像
エドゥアール・マネ《エミール・ゾラの肖像》1868年
小説家で美術評論家のゾラは、マネ、セザンヌ、ドガ、モネらと親しく交友し、人々が印象派絵画を受容するにあたって、多大な影響を与えました。
友情を記念して、マネは、上の絵を描きました。
ゾラの書斎
書斎で美術雑誌を開くゾラが描かれています。
ゾラが読んでいるのは、発行されてまだ数年しかたたない美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール」です。
《エミール・ゾラ》1865年頃
残っている写真を見てもわかるように、マネの絵は本人によく似ています。
机の上にある水色の冊子の表紙に「MANET」とマネのサインがさりげなく入っています。
壁に飾られた絵
歌川国明《大鳴門灘右ヱ門》1860年
左に江戸時代を代表する絵師尾形光琳を始めとした琳派を思わせる日本の屏風、右の壁にも歌川国明の浮世絵《大鳴門灘右ヱ門》が飾られ、当時のジャポニスム(日本趣味)がうかがえます。
ディエゴ・ベラスケス《バッカスの祝杯》1628-1629年
この浮世絵の横に、マネが敬愛したベラスケスの《バッカスの勝利》が。
エドゥアール・マネ《オランピア》1863年
そこへ重ねて自作《オランピア》の複製が壁に貼られています。
ある美術史家によると、トリロジー(三つ組)であるこれら複製画は、《オランピア》が1番上にあることから、東洋(浮世絵)と西洋(ベラスケス)を融合した新芸術こそが自分の絵だ、と暗に主張した作品だともいわれています。
強烈な自意識の持ち主だったマネらしいといえばマネらしい話です。