こんにちは!
今回は、ピサロがホテルから描いた街の絵を紹介します。
早速見ていきましょう!
街並みシリーズ
ピサロ66歳のとき、年とともに慢性の眼病が進んで視力が落ち、外で描くことができなくなりました。
そこで、ホテルの部屋の窓から街の風景を描き始めます。
絵の中の人や建物などすべての形態が曖昧なのは、目を患っていたことに関係があるといわれています。
ピサロの描く都市の絵は、現在のわたしたち観光客にもなじみの、ありふれたヨーロッパ的都市風景といえます。
でもそれ以前のパリを知っていたピサロにとって、これは美しく活気にあふれた、当時としては完璧にモダンな街の姿でした。
ピサロは街の一角を見下ろすホテルに長期間部屋を借り、さながら定点観測を行なうかのように、さまざまな季節、さまざまな時間帯の街の様子を、連作として描きました。
ルーアン
《ルーアン港の蒸気船》1896年
《朝、曇りの日、ルーアン》1896年
《ルーアンのボワルデュー橋、雨天》1896年
《ルーアンのボワルデュー橋》1896年
モンマルトル大通り
カミーユ・ピサロ《パリのモンマルトル大通り》1897年
当時すでに自動車は生産されていたとはいえ、数が極端に少なかったため、馬車、とりわけ四頭立て馬車がステイタスシンボルでした。
絵の中でも馬車がたくさん描かれています。
横断歩道はまだなく、速度制限も厳格ではないため、歩行者は疾走する馬車の合間をぬって渡る必要があり、交通事故が多発していました。
カミーユ・ピサロ《モンマルトル大通り、マルディグラ》1897年
カミーユ・ピサロ《モンマルトル大通り、朝、曇りの天気》1897年
カミーユ・ピサロ《モンマルトル大通り、冬の朝》1897年
カミーユ・ピサロ《モンマルトル大通り、春》1897年
カミーユ・ピサロ《夜のモンマルトル大通り》1897年
イタリアン大通り
《イタリアン大通り、朝、日光》1897年
サントレノ通り
カミーユ・ピサロ《雨の中の午後のサントノレ》1897年
エピスリー通り
《ルーアンのエピスリー通り、日光の影響》1898年
《ルーアンのエピスリー通り、朝、雨模様》1898年
テアトル・フランセ広場
《オペラ座通り、テアトル・フランセ広場》1898年
《テアトル・フランセ広場、雨の効果》1898年
広いオペラ通りの突き当たりにある丸屋根の建物はオペラ座(ガルニエ宮)です。
1875年に建設されたばかりでした。
《テアトル・フランセ、春》1898年
テュイルリー庭園
《春の朝のテュイルリー庭園》1899年
《冬の午後のテュイルリー庭園》1899年
《冬の午後のテュイルリー庭園》1899年
《テュイルリー庭園、朝、陽光》1900年
《カルーゼル広場、パリ》1900年
ルーヴル美術館
《ルーヴル、午後、雨天》1900年
《雪の中のルーヴル美術館》1902年
《セーヌ川とルーヴル》1903年