こんにちは!
今回は、神の手を持つ画家といわれているヤン・ファン・エイクとその兄についてです!
早速見ていきましょう!
目次
ファン・エイク兄弟
フーベルト・ファン・エイクとヤン・ファン・エイクはリンブルク地方(ベルギー)の初期フランドル派の画家です。
どちらが先に生まれているか正確にはわかっていないので、先に亡くなったフーベルトが兄と考えられています。
2人はなんと、油彩画を発明(厳密には以前からあるので油彩画を「完成」させた)したすごい兄弟でもあります。(当時は顔料に卵を混ぜて描くテンペラ画が主流)
兄 フーベルト・ファン・エイク(1385年頃-1426年)
地方のマスター(親方)だったのではという説もありますが、その称号を得るためには、ギルド(組合)に認定される必要があり、そこにフーベルトの名は残っていませんでした。
なので、教会の下級職員だったのでは?と考えられています。
フーベルト1人で完成させたと断定できる絵は、ひとつもなかったりすることからもわかるよに、その生涯についてはよくわかっていません。
弟 ヤン・ファン・エイク(1395年頃-1441年)
ヤン・ファン・エイク《男の肖像(自画像?)》1433年
ヤンは、すごい絵が上手い画家です。
画家史上1、2を争う上手さです。
ヨハン3世、そしてフィリップ3世の宮廷画家となったヤンは、外交官としても能力を発揮します。
ヤンも幼少期についての記録が残っていないため、不明なところが多いですが、フーベルトと違って宮廷画家だったため、その辺からの記録は比較的残っています。
秘密の天然油
絵を描くために、フランドル地方の木や植物からとった天然油を使用しています。(当時は絵の具がないので、自分で作る必要があります)
ヤン・ファン・エイクは、40種類以上の油を使っていたようですが、どんな油だったのか現在でも全ては解明されていません。
絵が上手すぎて信じられないくらいの高待遇
フィリップ3世は、ヤンの並外れた絵の上手さ、教養の深さから、大変気に入ります。
そこで、宮廷へ迎えた当初から、ヤンの年収は非常に高く、さらに数年間で2度も年収を倍にしています!!!さらにボーナスもよく支給していました!!
これは相当珍しいことだと思います…!
フィリップ3世は、とにかくお気に入りのヤンが、他へ引き抜かれないように待遇を厚くしました。
さらに、フィリップ3世はヤンの子供の名付け親になったり、ヤンが亡くなった後は、ヤンの奥さんや子供へ援助をしています。大好きすぎでは。
2人で制作した祭壇画
フーベルト・ファン・エイク、ヤン・ファン・エイク《ヘント祭壇画》1432年
フーベルトはゲントのシント・バーフ大聖堂の祭壇画の制作に取り掛かっていましたが、1426年に亡くなってしまったため、ヤンが後を引き継いで完成させた作品です。
未だにどの部分をフーベルトが描いて、どこをヤンが描いたのかはっきりしていませんが、全体の構成を考えたのはフーベルト、絵の大部分を描いたのがヤンでは?といわれています。
個人的に祭壇画が好きなんですが、なんで好きかというと、両サイドのパネル閉じると別の絵が出てくるんですよね。楽しくないですか?
その絵含め、《ヘントの祭壇画》についてはこちらで徹底解説しています!
珍しい聖母子像
ヤン・ファン・エイク《宰相ロランの聖母》1435年
聖母子の隣に、特徴的な髪型の人いますよね?
この人がこの絵の依頼主、宰相ロランです。
この絵の珍しいところは、依頼者と聖母子が同格で描かれているという点です。
通常は依頼主は描くとしても端の方で小さく描かれます。
神と同格に描いてもらうなんて恐れ多い…というのが通常の依頼者の考えかと思いますが、ロランは違います。
「私も神だ」といわんばかりの、神と同格アピールで権力誇示でしょうか。強い。
世界で最も有名な絵画のひとつ
ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻像》1434年
たくさんある絵画の中でも、世界で最も有名な絵画のひとつが、こちらの作品です!
私も死ぬまでに絶対見たいと思っている絵です!!
ヤンの絵は、謎解き系の絵なので、どの絵もじっくり見ると、ものすごく面白いです!
こういう複雑な絵は、学識とセンスが無いと描けない絵です。
そもそも絵を注文できるような人っていうのは、お金持ちの人に限られます。
裕福な人は当然教養もあるので、絵を読み解くことができます。
ヤンのすごいところは、何の絵か分からなくても、圧倒的に絵が上手いので、それだけで魅力があるところです。
わからなくてもすごい絵だし、読み解けるとさらに面白い、それが名画のすごさです。
この絵についての超解説はこちら!
まとめ
・ファン・エイク兄弟は油彩画を発明した ・ヤンは、学識を活かし、緻密な絵を描き、画家の中でも群を抜いて絵が上手い