こんにちは!
今回は、冷酷な画家ホルバインについてです!
早速見ていきましょう!
目次
ハンス・ホルバイン(1497-1543年)
ハンス・ホルバイン《自画像》1542-1543年
ハンス・ホルバインはルネサンス期のドイツの画家です。
南ドイツ、アウグスブルクで生まれ、父ハンス・ホルバインも画家でした。
兄アンブロジウスと共に、父親の工房で絵について学びました。
18歳のとき、スイス、バーゼル出版社で一人前の画家として働いていました。
結婚
ハンス・ホルバイン《家族の肖像》1528-1529年頃
23歳のとき、息子のいるエルスベトと結婚します。
上の絵に描かれた妻の顔が悲しそうなのは、ホルバインがロンドンで単身生活を送っていて、2年ぶりに会ったときに描かれもので、見捨てられた気分だったからとか、目の病気だったからなんていわれています。
死の舞踏
ハンス・ホルバイン《死の舞踏》より「騎士」
「死の舞踏」とは、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという詩が元になっている寓話です。
26歳のとき、木版画《死の舞踏》を制作し始めます。
翌年の1524年に下絵が完成すると、印刷業者内で版権が争われるほどの人気ぶりでした。
1538年、41歳のとき、版権を取得したリヨンの印刷業者から41枚の図版でセット販売され、大好評。
何度も版を重ね、さらに10枚追加し、計51枚のデザインに。
パトロンが定まらない
27歳のとき、パトロンのバーセル市長が失脚します。
新しいパトロンを探してフランスへ行きますが見つからず。
29歳のとき、宗教改革のため、バーゼルの宗教画の制作が中止になります。
親友
ハンス・ホルバイン《エラスムスの肖像》1523年
親友の人文主義者エラスムスの一大ベストセラー『痴愚神礼讃』の挿絵も描きました。
恩を仇で返す感
ハンス・ホルバイン《サー・トマス・モアの肖像》1527年
仕事がなくなり、エラスムスの紹介でイギリスに行き、トマス・モアの家に2年間滞在し、政界の大物たちの肖像画を描きます。
トマス・モアといえば『ユートピア』の著者として有名ですが、当時、法律家&政治家として、ヘンリー8世の片腕として活躍していました。
この時の恩を仇で返すような出来事が後ほど起こります…。
宗教改革で宗教画が描けなくなる
31歳のとき、バーゼルに戻ります。
宗教改革はどんどんエスカレートし、市内の宗教画はほとんど壊されてしまいました。
宗教画家だったホルバインの収入源である、教会からの依頼がなくなってします。
そこで肖像画家に転じます。
35歳のとき、家族を残して再びロンドンへ行きます。
トマス・モアは国王ヘンリー8世の離婚問題で意見が合わず、失脚、そして反逆罪で処刑されます。
また新しいパトロンを探すことに…。
ハンス・ホルバイン《トマス・クロムウェルの肖像》1532-1533年
36歳のとき、国王の秘書官クロムウェルの肖像を描きます。
クロムウェルは、モアを処刑台に送った張本人です。
そんな人物の絵を頼まれたからといって描けるのがすごい…(断れる立場ではないかもしれませんが)
お世話になった人物に対して何も思わなかったのか…ホルバインは冷酷だと後世でも言われ続けているのは、こういうところにあるのでしょう。
面白いだまし絵 アナモルフォーシス
ハンス・ホルバイン《大使たち》1533年
領主と司教が描かれた絵なのですが、絵を横から見ると、床の部分にガイコツが出現したりと、面白い仕掛けのある絵です。
詳細は後日アップします!
鬼畜な王ヘンリー8世
ハンス・ホルバイン《ヘンリー8世の肖像》1537-1547年
39歳のとき、国王ヘンリー8世の宮廷画家になります。
ヘンリー8世は、身長190㎝以上あってかなり威圧感があり、6人の妻の内、2人も断頭台送りにしている怖い王です。暴君!
全然顔が違う!死刑!
国王の3番目の妻が亡くなり、ホルバインは次の花嫁候補2人の肖像画を描くよう依頼されます。
ハンス・ホルバイン《デンマークのクリスティーナ》1538年
ハンス・ホルバイン《アンナ・フォン・クレーフェ》1539年
この絵を見て、王は側近のクロムウェルに相談し、アンを選びます。
当時は、結婚のときに初めて顔を合わせます。
会ってみたらなんとびっくり!「ホルバインの絵のイメージと全然違う!!美人じゃない!!」
アンと別れたいと思っても、庶民同士ではないので、下手したら戦争になる可能性がありました。
そこで、結婚から6ヶ月後、王はアンと離婚はするけれど自分の妹ということにしました。
彼女は王族の一員としてイギリスにとどまり、再婚もせず、4000ポンドの年金と荘園、城を与えられて、優雅な生活を送りました。
クロムウェルは、結婚の失敗の責任を取らされて処刑。
ホルバインはというと、宮廷画家の身分を剥奪され、追放処分を受けます。
死刑にならなかっただけマシですが、この件がショックだったのか、それ以降特にこれといった作品を残していません。
46歳のとき、ロンドンで流行したペストで亡くなります。
まとめ
・ホルバインは、冷酷な性格で、肖像画家として有名になった