ガブリエル・フォン・マックスを超解説!オカルトマニア?猿をたくさん飼ってた?

こんにちは!

今回は、ガブリエル・フォン・マックスについて解説します。

早速見ていきましょう!

ガブリエル・フォン・マックス(1840-1915年)

ガブリエル・フォン・マックス《あいさつ(花束を持った猿、パンジーの花束)》1900-1915年頃

ガブリエル・フォン・マックスは、プラハ生まれドイツ人の貴族で画家です。名前の「フォン」というのが貴族の称号です。

サルをたくさん飼っていたことでも有名です。

父親は彫刻家

マックスは、彫刻家である父ヨーゼフ・マックスから美術を学びました。

15歳のとき、父親がコレラで亡くなりました。

15歳から3年間、プラハの美術アカデミーでエドゥアルト・フォン・エンゲルトから学びました。

催眠術、心霊術などの超心理学にハマる

彼は超心理学(夢遊病、催眠術、心霊術)、ダーウィニズム、アジア哲学、インド哲学、ショーペンハウアーの思想、および様々な神秘的なものに興味をもち、研究していました。

特にダーウィニズムがアツい

ガブリエル・フォン・マックス《読書猿》

特にハマっていたのがダーウィニズム、進化論でした。

マックスが19歳のとき、ダーウィンが『種の起源』を出版しました。

彼の人類学研究への関心は、彼の作品にも表れました。

彼は、先史時代の民族の研究家でもあり、約7万点もの大規模な科学的コレクションを所有していました。

現在、そのコレクションはマンハイムのライス・エンゲルホルン博物館に収められています。

美術アカデミー

ガブリエル・フォン・マックス《アーティストのスタジオへの訪問》

18歳のときにウィーン美術アカデミーに入学しました。

ウィーンでは、カール・フォン・ブラース、カール・マイヤー、クリスティアン・ルーベン、ヴュルツィンガーなどの教師から学びました。

23歳の時にミュンヘンへ移り、ガブリエル・フォン・マックスはミュンヘン美術院でカール・フォン・ピロティに師事しました。

ガブリエル・フォン・マックス《コルシカのジューリア》1866年

27歳まで同美術院で学び、ハンス・マカルトやフランツ・デフレガーとともに勉強し、フランツ・フォン・レンバッハと親交を深めました。

たくさんのサルを飼う

ガブリエル・フォン・マックス《美術鑑定家としての猿たち》1889年

29歳から33歳頃にかけて、ミュンヘンのガーデンハウスでサルの群れを飼い、彼らの写真を撮ったりスケッチをしたりしていました。

後に彼は、これらの素材を大きな絵に活用し、動物を人間のように描写することもありました。

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結婚

ガブリエル・フォン・マックス《タンホイザー》1878年頃

33歳の時に結婚して3人の子供が生まれました。

39歳から43歳まで、マックスはミュンヘンアカデミーで歴史絵画の教授を務めました。

元祖オカルト思想「神智学協会」の会員

ガブリエル・フォン・マックス《法悦の乙女カタリーナ・エメリッヒ》1885年

彼はドイツ神智学協会の会員になりました。

神智学というのは、神秘的直観、思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神とつながり、深い知識や理解を得ようとする宗教的・哲学的な運動です。

神智学協会は、1875年にアメリカで創設された神秘思想団体で、スピリチュアルやオカルト思想を世に広めたことで知られています。

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貴族

ガブリエル・フォン・マックス《サルと骨格標本》1900年

60歳のとき、爵位を受けてリッター(騎士)となりました。ドイツ貴族は名前に「フォン」を入れます。なので彼もガブリエル・「フォン」・マックスと呼ばれています。

ガブリエル・フォン・マックス《寝なさい!》1900年

映画のワンシーンに使われる

ガブリエル・フォン・マックス《ライオンの花嫁》1908年

上の作品が有名になり、後にセシル・B・デミル監督の映画『男性と女性』(1919年)にこの絵のオマージュ 的なシーンが登場しています。


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彼は75歳のときにミュンヘンで亡くなりました。