ボテロの名画オマージュ作品を一挙紹介!モナリザにフェルメールにラスメニーナスも?

こんにちは!

今回は、ボテロの名画オマージュ作品を紹介します。

早速見ていきましょう!

ボテロのオマージュ作品

ボテロについての解説はこちら↓

ボテロを超解説!ふくよかでぽっちゃりな絵?

2022.02.22

ボテロは20歳のとき、初めてヨーロッパへ行って以来、ベラスケスやヤン・ファン・エイクなど、巨匠たちの絵画に影響を受け、数々のオマージュ作品を制作しました。

ボテロ流「ふっくら」とした名画たちは、なんとも言えぬ可愛らしさがあります。

モナリザ

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-1506年

フェルナンド・ボテロ《12歳のモナ・リザ》1959年

フェルナンド・ボテロ《モナ・リザ》1978年

フェルナンド・ボテロ《モナ・リザの横顔》2020年

デューラー

アルブレヒト・デューラー《オズヴォルト・クレルの肖像》1499年

フェルナンド・ボテロ《オズヴォルト・クレル》1959年

マンテーニャ

アンドレア・マンテーニャ《夫婦の間1.ゴンザーガの宮廷》1465-1474年

フェルナンド・ボテロ《夫婦の間(マンテーニャにならって)》1961年

フェルナンド・ボテロ《夫婦の間(マンテーニャにならって)》1980年

ラファエロ

ラファエロ・サンティ《レオ10世と二人の枢機卿》1518年

フェルナンド・ボテロ《教皇レオ10世(ラファエロにならって)》1964年

フェルメール

ヨハネス・フェルメール《少女》1665-1667年

フェルナンド・ボテロ《フェルメールの研究》1964年

ルーベンス

ピーテル・パウル・ルーベンス《ルーベンスとイザベラ・ブラント》1609-1610年

フェルナンド・ボテロ《ルーベンスと彼の妻》1965年

マネ「草上の昼食」

エドゥアール・マネ《草上の昼食》1863年

フェルナンド・ボテロ《草上の昼食》1969年

ボナールの裸婦

ピエール・ボナール《浴槽》1925年

フェルナンド・ボテロ《ボナールへのオマージュ》1972年

フェルナンド・ボテロ《ボナールへのオマージュ》1972年

フェルナンド・ボテロ《ボナールへのオマージュ》1975年

フェルナンド・ボテロ《浴室》1992年

カラヴァッジョ

ミケランジェロ・ブオナローティ《鎧姿のアロフ・ド・ヴィニャンクールとその小姓》1600-1625年

フェルナンド・ボテロ《アロフ・ド・ヴィニャンクール(カラヴァッジョにならって)》1974年

アルノルフィーニ夫婦

ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻像》1434年

フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫婦(ファン・エイクにならって)》1978年

フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》2006年

ベラスケス

ディエゴ・ベラスケス《バリェーカスの少年》1635-1645年

バリェーカスの少年

フェルナンド・ボテロ《バリェーカスの少年(ベラスケスにならって)》1959年

フェルナンド・ボテロ《バリェーカスの少年(ベラスケスにならって)》1971年

ラス・メニーナス

ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス(女官たち)》1656年

フェルナンド・ボテロ《マルガリータ王女(ベラスケスにならって)》

フェルナンド・ボテロ《マリバルボラ》1984年

フェルナンド・ボテロ《ベラスケスとしての自画像》1986年

クールベ

ナダール撮影 クールベの肖像 1860年頃

フェルナンド・ボテロ《クールベ》1993年

セザンヌ

ポール・セザンヌ《自画像》1880-1881年頃

フェルナンド・ボテロ《セザンヌ》1993年

ラ・トゥール

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖ヨセフ》1642年頃

フェルナンド・ボテロ《ラ・トゥールへのオマージュ》1998年

ウルビーノ公夫妻像

ピエロ・デラ・フランチェスカ《ウルビーノ公夫妻像》1473-1475年

フェルナンド・ボテロ《ウルビーノ公夫妻の肖像(フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ)(ピエロ・デラ・フランチェスカにならって)》1998年

フェルナンド・ボテロ《ウルビーノ公夫妻の肖像(バッティスタ・スフォルツァ)(ピエロ・デラ・フランチェスカにならって)》1998年

アングル

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル《カロリーヌ・リヴィエール嬢の肖像》1805年

フェルナンド・ボテロ《リヴィエール嬢(アングルにならって)》2001年

マリー=アントワネット

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《モスリンのシュミーズ・ドレスを着た王妃マリー・アントワネット》1783年

フェルナンド・ボテロ《マリー=アントワネット(ヴィジェ・ルブランにならって)》2005年