こんにちは!
今回は、スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》の解説です!
習作も集めてみました!
早速見ていきましょう〜!
グランド・ジャット島の日曜日の午後
ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1884-1886年
パリのセーヌ川に浮かぶグランド・ジャット島が舞台です。
グランド・ジャットとは「大きな杯」という意味で、島がその形をしていたため、こう呼ばれるようになりました。
この絵、とても大きくて、約2×3メートルあります!
人が多いのに、変に静けさのある絵で、とても不思議で夢のように美しいこの絵は、第8回(つまり最後の)印象派展に出品され、賛否相半ばする論議を呼びました。
全部点
点、点…全部点です!
絵具を混ぜ合わせるのではなく、点として画布に置いていく、気の遠くなるほど時間のかかる描き方である点描法を用いた作品です。
はっきり言って、狂気の沙汰です。
スーラはこの絵の制作に1年以上かけました。
批評家からは「難行の好きな人間にして初めてできる離れ業」と評され、ある者は「これは印象派ですらない」と非難し、ある者は緻密な計算による構図から、「印象派を超えた」と褒めました。(スーラは新印象派の画家)
他の画家が線で描いていた中、急に点で全部表そうとするスーラは、相当異質でかなり変人だったことは確かでしょう。
なぜ全部点で描いたのかというと、光を表現するためです。
絵の具を混ぜてしまうと色が濁ってしまうので、光を表現するのには限界がありました。
だけど原色で点を描けば、鑑賞者の脳内で色が混ざるので、明るく、柔らかな色彩を再現することが出来ます。
テレビの技術と通ずるものがあります。
上は、右の傘をさしてサルを連れている女性の顔アップです。すごい点。
離れて見る必要がある
この絵、サイズが大きいので、近くで見ると色が混ざって見えないんですよね〜
全部点。点々の絵にしか見えません。
一定の距離をあけて遠くから見ることで、色が混ざって見えます。
当時この絵を発表して展示した場所はカフェの一室でした。
部屋が狭すぎて、鑑賞者にスーラの意図が伝わらず、「なにこれ?」となり、一部を除いて不評でした。
そして絵が売れることもありませんでした。
未来と腐敗
ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》1884年
前回紹介した《アニエールの水浴》と《グランド・ジャット島の日曜日の午後》は対になっています。
川を挟んで右上に見えるのがグランド・ジャット島です。
アニエールの労働者階級の人々に対して、グランド・ジャットで描かれているのはブルジョワ階級です。
アニエールは日に当たっていますが、グランド・ジャットは日陰です。
アニエールは汚れのない未来、グランド・ジャットはブルジョワの腐敗を表しています。
アニエールの方は、確かに健康的で健全な感じしますよね。
では、グランド・ジャットのどんなところが闇なのか見てみましょう!
画面右の女性、なんで犬などではなくよりによってサル???って思いません??
サルは「欲望」や「罪」の象徴で、娼婦の持ち物とされていました。
さらに、メスの猿を意味するフランス語の「singesse」は娼婦を意味する隠語でした。
なので、この2人は、夫婦ではなく、女性は愛人、ドゥミ・モンディーヌ(高級娼婦)だとわかります。
ちなみに、当時サルは大変貴重で、飼っていることは一種のステータスでもありました。
左で釣りをする女性がいますよね。
女性の釣りは「売春」を暗示しています。
実際に当時、グランド・ジャット島は、ブルジョワジーが売春婦と出会う場でもありました。
フランス国旗
背景の木の間から、船首にフランス国旗を掲げたボートが見えます。
スーラが母国フランスに対して愛国心を抱いていたことを示しています。
《アニエールの水浴》でも同じようにフランス国旗とボートが描き込まれています。
単純化された形態
この座っている人物は、一連の幾何学的な形態にまで単純化されていますが、頭を覆うオレンジ色のスカーフから、彼女が乳母だということがわかります。
流行のファッション
この絵に登場するほとんどの女性が、パラソルを手にしてます。
かつてパラソルは、くじらの骨と木で作られており、重く、非常に高価だったことから、貴族や富裕層だけの持ち物でした。
しかし、19世紀に入って産業革命が起こると、鉄製の骨の軽くて安いパラソルが大量に作られるようになりました。
鉄道の発達で、気軽に日帰り旅行もできるようになり、ピクニックが流行し、パラソルは、ファッションアイテムとして大流行しました。
また、この絵がリアルな現実でないことは、ピクニック用の必需品(カゴ、敷物、飲み物など)や、屋台や建物もいっさい無いことからわかります。
時が止まってる?!
点描は動きのある表現には向きません。
生き生きとした動きはなく、全てがフリーズしています。
しかしそれがこの絵の中では奇跡的な効果をあげています。
一際目を引く、中央の白い服の女の子。
絵画の中で、この女の子だけが鑑賞者をまっすぐ見つめてきます。
なので目が合います。
そもそも周りの色に比べて「白」なので、そのコントラストからも女の子が目立つようになっています。
女の子を見ていると、画面に吸い込まれるような、そして、周りの時間が止まっているように錯覚します。
彩られた縁
額装する代わりに、絵の色に合わせて、色を調節して縁を描いています。
緑には赤、青にはオレンジ、黄色には紫といったように補色を使用しています。
17枚の習作
《グランド・ジャット島の日曜日の午後》が完成するまでに、スーラは最低でも60回、数ヶ月かけてドローイングと油彩のスケッチで描き、その後、それらを用いてアトリエで作品の計画を立て、人物像を改良し、いくつもの小さな習作や作品全体の大きな構図用スケッチの中で、人物像を再配置しました。
最終的な作品のどこにどの色を使うかということも含め、細かく気を配って計画しました。
スーラは、背景色でキャンバスを埋めるところから制作を開始し、その後は各部位に戻って、細かく作品を制作していきました。
今回はその中の一部、17枚を紹介します!
《「ラ・グランド・ジャット」の研究》1884-1885年
《「ラ・グランド・ジャット」のフィギュア研究》1884-1885年
《座る人物》1884年
《グランド・ジャットの油絵》1884年
《「グランド・ジャット」の研究》1884-1885年
《「グランド・ジャット」の研究》1884-1885年
《「ラ・グランド・ジャットの日曜日」のための研究》1884年
《「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の油絵》1884年
《釣りをする女性》1884年
《モンキー》1884年
《パラソルを持って歩く女性》1884年
《日傘をさして座る女性》1884-1885年
《木》1884年
《木の幹》1884年
《「ラ・グランド・ジャットの日曜日」のための研究》1884年
《「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のための習作》1884-1886年
《水辺にいる女性》1885-1886年
ディスりへのアンサー
《モデル》1886-1888年
批評家に「スーラって生命感のある絵描けないんじゃない?」とディスられたことに対する返答を絵にしました。
なので、左側には、その生命感がないと言われた《グランド・ジャット島の日曜日の午後》と、異なるポーズのヌードを描いています。
ちゃんと描けますけどなにか????という絵です。
絵の行方
スーラは31歳という若さで、ジフテリアで急逝します。
《グランド・ジャット島の日曜日の午後》は、彼の母親の手元に残りました。
スーラ死去から9年後の1900年、彼に心酔していた画家シニャックが、この絵を忘れさせてはならないとオークションにかけ、800フランで、あるフランス人に売られます。
同年、シスレーの《ポール・マルリーの洪水》に43,000フランの値がついていることから、800フランが不当なまでに安かったことがわかります。
24年後、スーラの本作はまた売りに出され、シカゴのコレクターに2万ドルで買われ、フランスを離れていきました。
このころになってようやく作品の真価に気づいたフランスは、買戻し団体を組織して、1931年、40万ドルを提示しましたが、すでにシカゴ美術館所蔵となっていた「グランド・ジャット島」が戻ってくることはありませんでした。