こんにちは!
今回は、マクシミリアン・リュスの《1871年5月コミューン下のパリの街路》を解説します。
早速見ていきましょう!
1871年5月コミューン下のパリの街路
マクシミリアン・リュス《1871年5月コミューン下のパリの街路》1903-1905年
ロベスピエールの恐怖政治時代を彷彿とさせる、フランス人同士の争いが起こりました。
臨時政府VSパリの急進的コミューンです。
「コミューン」というのは、中世に起源をもつ市民だけの都市共同体のことです。
戦いは当初コミューン側の優勢でしたが、最後は政府軍に壊滅させられます。
政府軍はコミューンを3日で制圧するつもりが1週間かかり、2万人以上の死者を出しました。
その「血の1週間」の惨劇が描かれています。
大勢の女性も共に戦いました。
目撃者のひとりは、「彼女たちは男より勇敢に、悪魔のように戦った」と伝えています。
石畳のバリケードの残骸です。
市内で100以上のバリケードが築かれたといわれています。
どちらへも関与したくない市民は、自宅を板囲いして隠れました。
かつて45万人いた国民軍は10分の1に減っていました。