こんにちは!
今回は、ダヴィッドの《マラーの死》を解説します。
早速見ていきましょう!
マラーの死
ジャック=ルイ・ダヴィッド《マラーの死》1793年
実際にあった暗殺事件
18世紀末、フランス革命後の混乱のさなかにあったパリで起きた暗殺事件を描いた作品です。
当時、議会では、富裕層が支持するジロンド派と、貧しい庶民が支持するジャコバン派が、激しい権力闘争をくり広げていました。
事件の被害者は、ジャコバン派の指導者の一人、ジャン=ポール・マラーでした。
彼を殺害したのは、ジロンド派の貧乏貴族出身のシャルロット・コルデーという女性でした。
コルデーは、ジロンド派議員を次々と追放し、ギロチン台へ送っていたマラーをとても憎んでいました。
ある日マラーは、持病の皮膚病の治療のために、オートミールを浸した浴槽に入りながら仕事をしていました。
そこへ、支持者と偽ったコルデーが面会を求めてやってきました。
自分は貧しく不幸な女だと訴える彼女の話を、庶民の味方マラーは真剣に聞きました。
そして、ふとした隙に、彼はナイフで刺し殺されてしまいます。
この事件から3ヶ月後に公開されたのが、ダヴィッドの描いたこの作品です。
ダヴィッドは、マラーと同じジャコバン派の議員でした。
コルデーは現行犯逮捕され、4日後にギロチンにより刑死しました。
わざと事実とは異なる絵を描いた
この絵は、現実に詳細がどうであったかではなく、犠牲者を神格化させるために考えて描いた虚構です。
「ひどく美しい嘘」ともいわれています。
マラーの顔
革命期、ジャン=ポール・マラーは、フランスで最も力のある人物の1人でした。
彼は「L’Ami du Peuple(国民の友)」と呼ばれる急進的な新聞を発行し、タカ派のジャーナリストとして成功していました。
その中で、彼は「国の敵」の解体を要求して、罵倒しました。
ダヴィッドによるマラーの描写は、肖像画というよりもプロパガンダでした。
彼はマラーを殉死した英雄のイメージに合わせて、その容姿を変えました。
肌からシミや汚れを取り除き、50歳よりも若く見せました。
マラーは、皮膚の不調によって引き起こされた不快を和らげるために、頭の周りに酢につけた布を巻き付けています。
マラーのポーズ
死んだマラーが、上半身裸で横たわり、片手をダラリと下ろしています。
このポーズは、ミケランジェロの有名な彫刻《ピエタ》の十字架から降ろされた直後の、死せるキリストの姿を思わせるポーズをしています。
マラーをキリストになぞらえることで、その死が殉教であると強調し、マラーを神格化しています。
また、皮膚病のはずが、絵ではその描写は省かれており、マラーの姿は理想化されています。
血痕
ダヴィッドは、マラーに対する賛辞をつくり上げようとしていたので、意図的に実際にはあった凄惨な場面を和らげて描いています。
シーツの上にはほんの少しの血痕しかなく、犠牲者の体の上にもほとんど血はありません。
胸の刺し傷の大部分は影に隠されており、傷口は致命傷だったにもかかわらず、それほど深刻には見えません。
その代わりに、刺殺のむごさを、マラーの血で風呂の水が赤く染まっていることで最大限に伝えています。
とはいえ、その部分でさえ、ダヴィッドは、低い視点から描くことで、その効果を最小化しています。
その結果、血の薄い筋だけが見えています。
また、マラーは皮膚病による体の傷が湯船の銅に擦れないよう、湯船にシーツを敷いていました。
わざわざ持たせた手紙
コルデーがマラーに会う口実に使った手紙を元に、ダヴィッドが描き足したものです。
手紙には、「1793年7月13日、マリー=アンヌ・シャルロット・コルデーより市民マラー様へ。私は大変不幸な女です。あなたのご厚意を受ける資格があると思います」と書いてあります。
ダヴィッドは、マラーの寛大な性格と暗殺者の背信を強調するために、真実をねじ曲げています。
実際には、コルデーは勤王家反逆者に関する情報を持っていると主張したので、マラーに近づくことが許されました。
実際とは風呂の形が違う
ジャン=ジャック・オエール《マラーの死、1793年7月13日》 1794年
実際にマラーが使用していたのは、上のような木靴型の浴槽でした。
それをダヴィッドは、シンプルな四角い浴槽に変えることで、簡素なイメージをつくりました。
手紙と紙幣で「良い人アピール」
誰宛の手紙かは不明ですが、手紙には「5人の子供を持つ母でありながら、夫が祖国防衛のために死亡した、この人に与えなさい」と書いてあり、紙幣と一緒に置いてあります。
これを描きこむことで、マラーは、慈悲深い優しい人だったとアピールしています。
羽根ペンがまだ彼の手にあることから、マラーはちょうどその手紙を完成させたところだったと推測できます。
また、このぼろぼろの古い木の家具は質実剛健さ表し、そこにダヴィッドがマラーにこの作品を捧げることを示す「マラーへ」という文字とサインを書き込んでいます。
凶器の見た目も違った
当時のナイフは、柄の部分が茶色か焦げ茶色の木の柄が主流でした。
茶色だと、血が目立たないため、ダヴィッドはわざと白い柄に変えて赤い血を目立たせ、事件の悲惨さを演出しています。
また、絵ではナイフが床に落ちていますが、実際には胸に突き刺したまま残っていました。
彼女は逃亡しようとはせず、その場にいました。
プロパガンダ
作品が発表されると広く称賛され、恐怖政治時代の指導者たちは複製を数枚注文し、ダヴィッドの弟子たちが制作しました。
本作は、フランス議会の議場に掲げられたこともありましたが、恐怖政治の首謀者ロベスピエールが失脚と処刑の後、この作品の人気は急速に衰えていきました。