こんにちは!
今回は、《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》を解説します。
早速見ていきましょう!
ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像
フォンテーヌブロー派《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》1594年頃
どこにいるの?
2人は薄い布に覆われた浴槽の中にいます。入浴中です。
ただし、現代の入浴とは意味合いが違います。
当時、「水につかると毒が皮膚から浸透する」と信じられており、王侯貴族も一生に数回しか身体を洗わず、体臭は香水でごまかしていました。
なので、この2人も、身体を洗っているのではなくて、化粧の一種、身支度として香湯やミルク湯、ワインなどにつかっていると考えられています。
覗き見的なワクワク要素のある入浴図は、第2次フォンテーヌブロー派が好んだテーマで、歴代の王たちの浴室の間に飾られていました。
王ベタ惚れ
アンリ4世の寵妃ガブリエル・デストレです。
知的で政治力と外交力に優れていたガブリエルは、宗教内乱の最中、王にカトリックへの改宗を進言し、政権安定に多大な貢献をしました。
王37歳のとき、17歳の人妻ガブリエルと出会い、愛し、惚れに惚れます。(夫とも別れさせています)
ベタ惚れの王は、妻との結婚を無効にしてまで王妃に迎えようとします。
サファイアの指輪は、戴冠式の際に王がはめていたものといわれ、アンリ4世との婚約と寵愛を表しています。
何をしている絵?
ガブリエルの妹ヴィラール公爵夫人とされていますが、正確にはわかっていません。
姉の乳首をつまんでいます。
これは懐妊を示唆していると考えられています。
懐妊を示唆するためであれば、お腹を指差せばいいのでは?って思うかもしれませんが、当時の女性は「ふっくらしたお腹」が「美」とされていたため、腹部だけでは妊娠しているかどうか判断できませんでした。
なので、「豊穣」を象徴する乳首をつまんでいます。
謎の死
ガブリエルは王との間に3人の子供をもうけ、4人目を妊娠中、そして王との結婚の承認式前日というときに、突如、謎の死を遂げました。26歳でした。
表向き、死因は産褥熱ということになっていますが、そう信じるものはいませんでした。
ガブリエルの身に何があったのかというと…
披露宴の準備などのため、ひとりでパリへ行きました。
それまでは、正妻マルゴや王の廷臣たちからの暗殺を恐れ、王のそばを離れず、戦場にまで一緒に行っていました。
パリで彼女は、イタリア人料理人の作った夕食を食べたあと、胃痛に襲われ、翌日、死産しますが、なぜか医者は呼ばれませんでした。
このことを知った王は急いで駆けつけましたが、助かる見込みはなく、かなり苦しみながら亡くなったと伝えられています。
一説では、財政立て直しのため、莫大な持参金が期待できるメディチ家と王の婚姻を望む側近によって毒殺されたのでは?ともいわれています。
悪女マルグリット
アンリ4世の正妻マルグリット王妃は、才色兼備でありながら、稀代の悪女として名高い1人です。
デュマの小説『王妃マルゴ』のモデルにもなっています。
政略結婚なので、最初から2人の間に愛はなく、長く別居し、ふたりの間には子供もいませんでした。
王は早くから離婚を申し出ていましたが、マルゴはなかなか別れようとしませんでした。
しかし王は諦めず、ガブリエルを王妃の座につけるため自分の子供を産ませ、サファイアの指輪を渡し、ローマ法王の許可まで得ました。
そして、マルゴが男遊びで増やした莫大な借金を精算してあげることで、やっと離婚することができました。
トロンプ・ルイユ
16〜17世紀は、壁にかけた絵の前にカーテンがある場合が多く、それが転じて生まれたのが、絵の中にあげたカーテンを描き込む「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」です。
カーテンだけが他とは異なる写実性で描かれ、本物っぽさを演出しています。
また、入浴中の寒さよけとしての機能もカーテンにはありました。
バスタブの中の布も、大理石の冷たさを緩和するためでした。
後ろの侍女
縫い物をする侍女が描かれています。
産着を縫っているとされ、ガブリエルの懐妊を示唆しています。
後ろの怪しげな絵
暖炉の上にはなにやら怪しげな女性のヌード画が飾られています。
王の寵愛を得た手段を皮肉っているという見方もできます。
また、構図としては、裸体画の二重構造になっています。
謎の箱
暖炉の前に、緑のベルベットに覆われた謎の箱が置いてあります。
緑色はガブリエルの大好きな色でした。
これくらいのサイズの箱として考えられるのは、女性が嫁ぐときに持参する衣装箱です。
ただ、衣装箱だとすると布で覆ってあるのも不自然、置いてある場所も不自然(通常部屋の隅に美しい家具として飾る)です。
そのため、ガブリエルの棺の暗喩なのでは?ともいわれています。
この絵の制作年が正確にわかっていないことから、ガブリエルが生きていた頃に描かれた「幸せな絵」なのか、ガブリエル亡き後の「悲しい絵」なのか解釈の分かれる面白い絵です。