こんにちは!
今回は、ルノワールの《雨傘》を解説します。
早速見ていきましょう!
雨傘
ピエール=オーギュスト・ルノワール《雨傘》1881-1886年
珍しい作品
パリのにぎやかな通りを描いた作品ですが、この絵、作品としてとっても珍しいものなんです。
なにが珍しいのかというと、右側は印象主義、左側は古典主義の手法で描かれているんです。
真逆の手法で描かれてるため、違和感を感じさせつつも、画面がまとまって見えるのは、折り重なる傘のリズム感や、雨の寒さを伝えるような青で画面が統一されているためです。
どうしてこうなったのかというと、この絵の制作時、ルノワールは、印象主義の描き方だと、人物が絵の中に溶けてしまうため、表現の仕方に悩んでいました。
画風を模索していたルノワールは、イタリアへ旅行し、フィレンツェやローマでラファエロの作品に感嘆した後、ナポリに向かいポンペイの壁画の人物表現に感動し、古典主義が大事にする「線」を重視するようになり、新しい造形性を探究し始めました。
このイタリアでの体験によって、ルノワールの作品の色彩の幅は古代の壁画のように狭くなり、ラファエロの絵画のようにフォルムを重視し始めました。
そして、フランス人画家にとっての古典(規範)を辿る道程、すなわちルネサンスのラファエロからフランス古典主義のプッサンへ、そしてプッサンから新古典主義へと行き着く道程をルノワールも経験し、「線」といえばアングルということで、アングルの新古典主義にも興味を抱くようになりました。
少年時代から「色彩派」のルーベンスやロココ絵画に魅了されてきたルノワールが、「デッサン派」への転向を図りました。
制作方法も古典に回帰し、戸外からアトリエへと戻っていきました。
《雨傘》は、このイタリア旅行を挟んで完成したため、右側は旅行前の印象主義、左側は旅行後の古典主義で描かれています。
右側:印象主義
裕福なブルジョワ階級の親子が、印象主義の手法でほわほわっと柔らかく描かれています。
なぜこの絵がイタリア旅行を挟んで描かれたとわかるのかというと、彼女たちの着ているドレスのデザインから判断することができます。
この親子のドレスのデザインは、イタリア旅行前の1881年頃に流行したものでした。
少女が持っている輪っかは、棒で突いて輪を転がして遊ぶ、おもちゃのフープです。
左側:古典主義
右と比べて、明確な輪郭線で描かれ、古典主義の手法で堅い感じに描いています。
近年のX線調査で、最初は左も、右と同じように印象主義の手法で描かれていたことが判明し、イタリア旅行を挟んで、あえて左だけ描き直していたことがわかりました。
1885年頃に流行したドレスのデザインなことから、イタリア旅行後に描かれたことがわかります。
この女性は帽子を被っておらず、手には帽子箱を持っていることから、帽子屋の小間使いのようです。
当時、帽子をかぶることは健全な市民の証で、帽子をかぶっていないのは娼婦や最下層の女性でした。
この女性のモデルはシュザンヌ・ヴァラドンです。
彼女も後に画家となり、画家ユトリロの母親でもあります。
未婚で出産したため、ユトリロの父親には諸説あり、ルノワール説が有力なんだとか…。
女性に話かけている男性のモデルはルノワールの親友です。